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残日録 猿投窯(さなげよう)

先日、猿投窯(さなげよう)をいただきました。名古屋市東部から豊田市西部、瀬戸市南部委から大府市および刈谷市北部の、約20㎞四方に集中する1000基を超す古窯跡の総称。日本三大古窯の一つ。
古墳時代から鎌倉時代初期まで、700年余の長きにわたり焼き物の生産を続けた。とウキペディアにあり。
いただいた器は、重ねて焼かれていたらしく、一部、上にあった陶器がくっついています。そこを外そうとした痕があります。
持ってきてくださったかたは、かさぶたのようなもので、はがしたくなるのよ、と言ってられました。

 

2018年06月05日

HP始めました

午前中、1時間ばかり、長浜市木之本町にある江北図書館で、本を書庫に入れる作業をしました。この図書館の館長でもあるので、これを時間がとれる火・水・木曜の午前中にしはじめたのですが、昨日は大津で打ち合わせ、明日は三宮で友人夫妻と年に1度の昼食会、今週は今日だけになってしまいました。全集や叢書を移動させるのですが、欠本チェックもあり、あまり進みません。進まないよりましだ、という長期戦です。

2018年05月30日

残日録2 ようやく検索ができました。

今日、ようやく検索できるようになりました。
ほっとしました。でも余計なものが出ていて、まあグーグルにひっかけてもらうのに、いたしかないが、修正のしかたが分かりません

2018年06月03日

残日録3 公益法人江北図書館定期評議委員会

 昨晩は、公益法人江北図書館の定期評議委員会があり、新しく理事が承認されたり、評議員の定数が改正されたりした。財政難に苦悩する状態が続いている。

 午前中は、全集ものの書庫入れと、開架に並んでいた、坪内逍遥訳のシェークスピア全集を、入り口のショウケースに並べた。明治35年開館の杉野文庫に始まるこの図書館によく似合う。

 郡役所時代の史資料などは、滋賀大の経済学部に保管していただいている。郡制度の形成期の資料もあり、明治初期の研究者には宝のやまだろう。

2018年06月06日

残日録4 ご挨拶

謹啓 麦秋の候、益々ご清祥のこととお慶び
申し上げます。       さて、私こと 
この度、京都橘大学文学部を退職いたしました。
顧みますと1975年から37年間、図書館現場に
あり、その後5年間の大学教員を勤めました。
在職中は何かとご厚誼ご指導を賜り、心よりお
礼申し上げます。
 退職を節目に、思いを新たにして、所蔵する書
籍や雑器などを少しずつ手放す終活に思い至り、
この春より、長浜八幡宮参道で古書店「六夢堂(りくむどう)」
を開きました。
 略儀でございますが、書中をもってご挨拶申し
上げます。
 末筆ながら、皆様のご健勝とご多幸をお祈りいた
します。
謹 白

と、挨拶状を年賀状交換している方々にお送りしたら、何十年もお会いしていない方々からもメールがあり、懐かしい気持ちに浸った。

 「人生の親戚」が、多くはないが少なくもない、負担にならない程度にいて、年末年始を楽しませてくださる。ありがたい。気持ちが豊かになる。

 

2018年06月09日

残日録5 服装のこと

昨日は途中で店番を代わってもらって、図書館問題研究会の全国大会準備委員会に出席。電車の中でうとうと。地下鉄の乗り換え駅で、同じ大学の非常勤講師に見つけられ、お元気ですか、と声をかけられた。出講の曜日が違うので、久しぶりだ。赤のTシャツに緑のタイ製のズボン、ラフな格好に驚いておられた。いろんな服を着て出講するけれど、さすがに、ラフ はない。

昨年までは常勤だったので、服装にこったりもした。けっこう目立っていたのだ。

どこで探してきたのですか、とクリーニング店の店員さんに言われるほど、民族衣装の類を着る。アフリカの木綿の貫頭衣のようなのに、ビーズがいっぱいついている服を衝動買いしたのだが、重たくて着れない。店に飾ってみようと思っているが、忙しさに…?…まだ実現できていない。

服も披露しないのか、との声もあり。

2018年06月12日

残日録6 図問研全国大会

6/30~7/2があ臨時休業になります。図書館問題研究会全国大会(7/1・2)が大津であり、それの世話係の一人として参加します。子どもへのサービスの分科会で、児童文学について話します。「現代日本児童文学」と呼ばれていたものが、1980年代に終焉をむかえていることに鈍感な児童サービス関係者が多いことを指摘してきたのですが、あまり共感が得られていないのか、ほとんど反響がありません。

まあ、いつものことではありますが。

図書館問題研究会は、私にとって問題提起ができる大切な場です。このところ、機関誌「みんなの図書館」によく書かせていただいているし、研究集会の発表をまとめた「図書館評論」にも書いています。7月に発行される「59号」では「児童サービスのこれからを考える」と題して「格差が拡大する社会にあって、図書館の児童サービスが担わなければならないこと、担わざるを得ないこと、それは何なのか」ということを書きました。

「みんなの図書館」は若いころに一時期、編集にかかわっていたことがあります。「本の雑誌」が初期の頃に、私たちが特集を組んだ「貸出の中の「返却」の問題」の号を取りあげてくださった記憶があります。編集諸氏は、きっと驚かれたのでしょう。

まだ、貸出(資料提供)が素朴に語られていた時代でした。

 

2018年06月17日

残日録7 朗読会

6/19 昼に高月図書館で、夜に店で、朗読会を開催しました。昼はお話ボランティアや朗読を勉強している人。夜は、朗読家の栗山かおりさん。楽しい時間を過ごしました。ばたばたして、写真を撮るのをわすれていました。次回は9/18です。「長月の午後」朗読者募集中。

2018年06月22日

残日録8 図問研研究集会終了

7/1~2開催の図問研全国大会、何とか終了。望外の好評だった。2日目午後の学校図書館をテーマにした「大会記念講座」も濃密な内容のものとなった。 実行委員会のメンバーに感謝。ありがとう。

気分一新、依頼されている原稿400字*6.5枚に集中する午後。

2018年07月03日

残日録9 「近江教育」

 原稿「日本語のレッスン」に少し手を入れて、滋賀県教育会事務局に送付。「近江教育」№681号10月1日発行 に掲載予定。戦前の教育に大きな影響を与えた組織だが、戦後も続いている。「近江教育」を見ると、教育関係者のOBの懇親会的な組織のようだ。

 CiNiiで探すと、田中哲「満蒙開拓少年義勇軍の送り出しと教育的背景:戦前期の『近江教育』誌から見る」がある。(佛教大学大学院紀要.文学研究科篇2016)研究対象としてまだ未開拓な領域のようだ。昭和前期に発行されたものを1冊持っているが、たしか、警察に捕まっていた会員が出所したので、これからもがんばるぞ、といったないようだった、と記憶している。

 

2018年07月07日

残日録10 新居信正

 新居信正『また女の先生か』(1976 昌平社出版)が今頃になって女性蔑視の言説として受け止められているらしい。新居さんはどこかで「オレは男子教師になんか期待しとらん」と、当時、発言していた記憶がある。講演記録のどこかに出ていた。探してみよう。

 あの本のどこかでそのことにもふれておけばよかっただろうに。

 新居さんはいろんなことにいら立つのだった。「研究授業の時、教室のカーテンは前で束ねますか、後ろでしょうか」教師が管理職にと聞く。「教育は中立だから、真ん中で束ねてください」などと返事をする。そんなしょうもないことにも腹を立てる。そんな人だった。

 

 追伸 新居さんの住んでいた徳島市立図書館で検索したら新居さんの著書は『小学校の現場から』1件のみの所蔵。県立のほうは「正常化通信」も含めて29件だった。手元に「数学教室」1978年2月号がある。古書市場で高額だったと記憶しているが、2018/10/01に調べたら落札されていた。『つるかめ』はアマゾンで最低価格7000円。

2018年07月11日

残日録11 三権分立論

 「たのしい授業」7月号に「民主主義」についての記事があった。雑誌の性格から、滝村隆一の民主主義論が紹介されていないのはいたしかたがないことではある。ここで少し紹介する。

 雑誌「道」1981-6が「滝村国家論の展開」を特集していて、渡辺一衛「滝村国家論の展開―三権分立論を中心に―」が掲載されている。後の2003年に、滝村隆一の大著『国家論大綱 第一巻』のなかで展開される「三権分立論」の解説として読むことができる。

 「彼(滝村)の議論によると近代ブルジョア政治学の内部においても、三権分立論に対していろいろな異論や解釈の違いがあるようである。彼はこの〈三権分立〉の意味を実体的な区別、あるいは機能的な区別ではなくて、理念的な区別であるととらえている。そしてこの〈司法〉〈執行〉〈立法〉という三権の区別の中で、〈司法権〉にたいして特別な優位性を与えるという点に、彼の国家論の現在の独自な展開があると見ることができるだろう。(p13下)」

とある。渡辺自身の滝村三権分立論の解釈から、以下のことを導きもしている。

 「立法府は国民の可能なかぎり民主的な選挙によって選出された代表からなるが、そこではある程度息の長い、法律を中心とする原則的な事項しか決定できない。(ともかく国民の意思が直接表現されるのは立法府である)。それに対して執行府は、ある程度の専門的能力を必要とし、アメリカ大統領や日本の都道府県知事のように選挙で選ばれる場合もあるが、一般には専門職で、その時々の特殊で個別的な事項に対処する。〈執行〉権力は選挙であらばれた人々の集団では必ずしも適当でない。これが〈立法府〉と〈執行府〉の役割の違いをつくり出すのだと思われる。/このことは単に国家や政府だけではなくて、より小さな組織でも一般的に言えることである。(p14上)」

 最後のところは、「民主主義」や「民主的」ということばは、国家であれ団体であれ組織の内部には「三権分立」があるということを意味している。三権分立という地点から、現実の組織を見る、ということも大切だと考えている。

2018年07月20日

残日録12 「民主主義を歪めるもの」

 60年安保の時、当時の全学連主流派幹部と右翼田中清玄との結びつきがありその後そのことが暴露された。「田中清玄他、二、三の大口と、全学連に同情的な学者、評論家、芸能人等からの〝金”(東京)で一千万円程を集め、こうして集まった金を学生の動員費用の他、主流派幹部の生活費、遊興費にあてたそうである。」ぐらいのことを知識として知っている人はどれくらいいるのだろうか。

 これについて何かを書こうというのではない。(吉本隆明がこれについて発言している。『唐牛健太郎追想集』所収)

 こういう事態にあって、江沢洋が「民主主義を歪めるもの」を書いている。(「構造改革16」統一社会主義同盟 1963.5)そこから一部を引いておきたい。

 「私はむろん、旧共産主義者同盟(ブント)に結集していた人々が、皆このような腐敗分子だったとは思わないし、またブントによって指導された全学連主流派の闘争の積極的な側面が、これによって捨象されてはならないと考える。思想的には我々と根本的に異質な点を有しながらも、彼らなりに真剣に大衆運動に挺身してきた誠実なブント系の活動家も、私は多く識っている。しかし共産主義者同盟という一つの組織内であのような事態が発生し、放置されていた背景には、たんに直接関与していた幹部の品性として片づけられる以上のものが存在していた事は、当然であろう。私は彼らの組織にあってこのような腐敗を醸成した主要な思想的基盤として、民主主義に対する極めて一面的な把握とそこから生ずる民主主義の軽視或いはヴィジョンの貧困があったと考える。ブルジョア民主主義―→ブルジョア階級支配の道具、プロレタリア民主主義―→プロレタリア階級支配の道具とするに止まる図式的理解の不毛性と、両者の間の明確な断絶が彼らには濃厚に存在していた。そこからは、憲法に保障された民主主義も基本的には、独占側の侵害に対する抵抗闘争を通じてのプチブル急進主義に傾斜した階級闘争を発現させるためのものとしてしか評価されず、ましてや、大衆の中にみなぎっている一般民主主義の要求をくみとって、民主主義の新しいヴィジョンとその定着を、大衆闘争の中で獲得していく契機は捨象されてしまうのである。道具、形式としてしか評価され得ぬ民主主義の理解は自己の政策、論理を大衆運動において貫徹しようとする時、もしそれが邪魔ならば、臆面もなく民主主義を破棄してはばからぬ態度と結びつく。三十五年三月の全学連目黒大会等において、田中清玄の公言する如く、反主流派排除のため、田中配下の右翼の暴力を借りて恥じなかった事などその一端である。旧共産主義者同盟の衣鉢をつぐ社学同の諸君が、昨年十二月、東大駒場自治会の選挙で票のすりかえを行ったため、その後駒場では〝執行部不在”という驚くべき自治会民主主義の形骸化を来している状況は、まさに彼らが、このような意味でブントの思想的な負の遺産を清算していないことを示しているものであろう。社学同の諸君の真摯な自己批判を願うものである。」(p56-57)

 「構造改革 16」は1980年代に古書店でたまたま入手したものである。江沢洋の「民主主義の新しいヴィジョンとその定着」がどのあたりにあるのかは不明だが、残日録11の渡辺の(三権分立は)「単に国家や政府だけではなくて、より小さな組織でも一般的に言えることである」につながっている、と読める。

 

2018年07月21日

残日録13 児童図書館研究会全国学習会打ち合わせ

 来年、1月27~28日の児童図書館研究会全国学習会の分科会で、子どもたちの今と幼年文学」というテーマで話すことになっている。今春、神戸で話した「10歳の峠を乗り越える読書」を軸にして、幼年文学を論じることにする予定。今日はその打ち合わせでした。この学習会は、滋賀支部が立案している。「乳幼児サービス」「絵本から幼年文学へ」「公共図書館と学校図書館の連携」「YAサービス」「科学の本と科学遊び」という5つの分科会と小澤俊夫氏の基調講演『昔話が発するメッセージ』。

 

2018年07月24日

残日録14 現代児童文学と児童サービス

「現代児童文学と児童サービス」と題して児図研の会報に投降したのが2026年。以下のとおり。 

0 はじめに
 私は「図書館評論 №57(2016)」で「子どもへのサービスのコレクション形成の課題」を発表している。副題に「児童文学論・児童サービスにおける「作家論」の消失という地点から」をつけ、児童文学について論じながら、現場からも「現代児童文学研究」の知見からも「子ども観」「発達観」を、学ぶことなく、児童サービスが漫然と行われていると指摘している。
 ここでは、児童サービスが対象にしてきた現代児童文学について考察する。

一 1980年代に児童文学は「崩壊」または「越境」した
 野上曉は『越境する児童文学』(2009 長崎出版)のなかで「崩壊する児童文学概念」について、森絵都『カラフル』(1998)を紹介して、次のように結論づけている。

  この作品を最初に読んだとき、マンガと張り合って進化を遂げたジュ ニア小説の持つエンターテイメント性と、児童文学を母体にして自在に 変容してきた思春期文学の豊かな可能性をシンボリックに物語っている ように思えた。事実この作品は、その後に文庫化されて、子どもたちば かりでなく成人読者にもよく読まれている。つまり、既存の児童文学概 念を拡張しながら、八〇年代後半から九〇年代後半までのほぼ一〇年の あいだに、子どもの文学は変容を重ね、児童文学という衣装(カテゴリ ー)に変わる新たな装いを必要とし始めたのだろう。そこにYAという 市場的なコードネームが被ってきた。(同書p107)

 前掲論文で宮川健郎『現代児童文学の語るもの』(NHK出版 1996)の「1959年にはじまった、子どもの文学のひとつの時代がおわろうとしているのかもしれない」を引用したのだが、それをもう少し先にすすめた論と言える。
 「日本児童文学」2016年11・12月号でも「現代児童文学の終焉とその未来」が取り上げられている。座談会で佐藤宗子は、児童文学の側にあって、成長物語ではなくなった児童文学について、

  まず幼年向けは別枠として残るだろう。それより上の読者層、すなわ ち小学校高学年以上向け、あるいはヤングアダルトといったあたりを、 「一般文学」と分けて考えようとすることに、そもそもどういう意味、 価値があるかということ自体を、もう一度きちんと考えることが、必要 なのではないでしょうか。

と発言している。

金井美恵子は「ものがたりなんかいくらでも本の中にあった」(文藝 1996 春号)で
  児童文学のつまらなさというのは、読者を子どもに限定しちゃって  いるからでしょう。子どもに理解出来ないことが書いてあってもいいん ですよ。後で読み返せばいいんだから。読者を子どもに限定していない んだなということが大人になってわかったものが、読み返してみておも しろかったということなんじゃないのかな。ハックルベリーなんて、少 年小説とは言えないし、そもそも、ハックが「子ども」的じゃないです ものね。

  子どもに何がいちばんないかというと、過去ですよ。過去というもの が子どもはないでしょう。過去の時間というのが。だから、子ども時代 を回顧するという姿勢の中に子どもが出てくると、時間のずれをどう処 理するかという問題が解決されていないものが多いわけ。要するに子ど もというのは、過去の時間をもっていなくて、現在の中で生きていて、 現在の時間も過去というものも全部未来に投影されているものですよね 。わずかにある過去というのが、現在という未来というか、全部向こう 側に預けられちゃっている時間の中で生きている存在でしょう。『ノン ちゃん雲にのる』は子どもが「時間」というものを初めて意識する瞬間 が出て来るでしょう。あそこがなまなましいんですね。

と、児童文学の成立それ自体に疑問を投げかけている。
 境界がなくなった、または曖昧になった児童文学を、児童サービスはどうとりあつかうのか、が問われるところである。

二 「大人へと成長しなければならないわけでもない」時代
 ひこ・田中は『ふしぎなふしぎな子どもの物語―なぜ成長を描かなくなったのか?』(光文社新書 2011)で、

  成熟した大人、成熟しない大人、大人にならないままの大人、大人を 放棄した人。そうした様々な道筋が、子どもが育とうとする先に見える 社会こそ、本当の近代社会だと考えていいのではないか?

  子どもの物語の変化は、近代が元々目指している社会と、これまで正 しいと信じられてきた社会との間に生じてきたズレそのものに忠実に寄 り添っています。
 こう言い換えてもいいでしょう。大人社会の要請と子ども自身の欲望と の間でバランスをとりながら描かれてきた子どもの物語は、相変わらず 大人としてだけ振る舞っている大人社会から見れば奇妙でも、子どもの 側から見ればこうしか見えない、こう考えるしかない大人と子どもの差 異が減少した世界を正直に描いているのです。

と現代児童文学が直面している状況の背景を評している。
 漫然と所与のものとして受け取ってきた現代児童文学の内部において、その存在自体が問われてきているのである。
 現代児童文学の終焉について、児童サービスの場でも論じられることが求められている。そのことに児図研は敏感であってほしい。

三 おわりに
 児童サービスが対象にするフィクションは、(佐藤と通じるところであるが)「乳幼児・児童向け絵本」と「幼年文学」、「1980年代あたりまでの児童文学(理論社の大長編シリーズや福音館の「日曜文庫」などは除く)」ではないか。80年代以降の児童文学については、YAで括るか一般書扱いにするのがよいのではないか、と私は考えている。
 ノンフィクションについては、主題のある絵本も含めての「混配」が妥当だという立ち位置にある。

児童図書館研究会会報 2016・6月号

 金井美恵子の「過去という時間」が子どもにはない、という指摘を読んだときに、そんなものかな、という印象であったが、幼年文学を考えるとき、大きなヒントとなった。森山京『きいろいばけつ』の主人公のキツネは「一週間」という過去を獲得する物語であった。

2018年07月25日

残日録15 井上靖研究会

 昨日7/28は金沢で井上靖研究会があったので出席した。何志勇(大連外国語大学副教授)「『天平の甍』の誤訳と誤読―楼適夷訳を例に」と小田島本有(釧路鉱業高等専門学校教授)「「あすなろう」「三ノ宮炎上」から『あすなろ物語』へ」の日本の発表があった。

 井上靖の散文詩について小説との関係を論じたものはあるが、詩そのものについての論考は多くない。「句読点」に着目して、詩の「入子型」構造について論じることができないか、と思っていて、詩をデータベース化している。文字化けを修正したので、データを井上靖のご長男の修一氏に送付することにした。

 修一氏のつれあい様に久しぶりにお会いできた。まだ、高月図書館に在籍しているものと思っていたとのことで、驚かれておられた。

 井上靖記念文化財団発行の「伝書鳩」の来年号にエッセイを書くことになった。小説『星と祭』について、「殯(もがり)」と「弔い」、そして民衆の信仰といったあたりのことになるだろう。初期の号に何度か書かせていただいていたことを思い出した。

2018年07月29日

残日録16 業界人のお葬式と私

 図書館業界の中堅の人がご来店、久しぶりに雑談。私は業界の人との個人的なお付き合いはあまりないのだが、個人的なところでの交流を活発にしているとの印象を与えている。そのことは重重承知している。そのことが誤解をまねくことにもなる。

 随分前のことになるが、著名な研究者のお葬式に出席しなかったことを咎められたことがあった。個人的なお付き合いはなかったにせよ、業界の端っこにいる者として当然のことと受け止められていた。だがしかし、である。ご逝去されたことを知らなかったのである。どなたからも知らせていただけなかったのは、不徳のいたすところであるのかも知れないが、連絡のあった人は、私が知っていて当然と受け止めていたのだろう。咎めてくださった方は納得してくださったが、30歳代前半に病死されたAさんの時も来ていなかったじゃあないか、と言われた。私はAさんと研究会で数回、話したことはあったが、親しいというほどのことはなかったので、その時も、後で知ったわけだった。知らせていただいていても、出席しなかったと思う。これは、知らなかったので、と答えた。そう親しくはなかった、とは言わなかった。

 冠婚葬祭というのはやっかいなものである。

 近年といってももう10年近く前になるが、Bさんが突然死をしたとき、数少ない親しくしていた業界人からBさんの死を滋賀県内の誰にお知らせしたらいいだろう、という電話があった。先ずは私だろうと言ったら、どうして知らないの、という言葉が返ってきた。

 そんなことを話題にもした。

 あの人とは親しいのか、などと話を広げてくださった。業界人のなかには、私とさも親し気な雰囲気をまき散らす御仁もいて、戸惑うこともある。

 

2018年08月04日

残日録17 季刊フラタニティ 届く

 村岡到氏が政治グループ稲妻(1980~1996年)を主宰していた初期のころに、機関誌「稲妻」と出会い、購読者となった。その後も「カオスとロゴス」「もうひとつの世界へ」「プランB」「フラタニティ」と氏の関わる雑誌の購読を続けている。「季刊フラタニティ №11 2018.8」が届いた。

 私は政治と直接かかわることをしない。村岡氏の政治姿勢に賛同することはないが、氏の考えの来し方と現在の状況への発言に学ぶところがあるので、読み続けている。

 また寄せられた論考からも、怠惰な私は多くのことを学んでいる。雑誌「選択」の国際問題の記事が優れていること、「内閣法制局」に注目すること、などなど。

 10数年前だが、京都に来られて「ベーシックインカム」について話されたことがあり、その時、1度、お会いした。

 最新号の特集は「創価学会と公明党はどうなっているか」です。10号「マルクス生誕200年」9号「労働組合の現状と課題」8号「宗教をどのように理解するか」といった特集が並んでいる。次号は「環境問題と地球の危機」だそうです。

 編集後記に「七月二日、「笑点」で良く知られていた桂歌丸さんが亡くなった。私も「笑点」ファンだ。横浜の遊郭で育った歌丸さんは、戦争体験をベースに落語一筋の人生を全うして、地元の街の人たちに慕われていた。円楽さんは、「反権力であることを貫け」と教えられたという。翌日、5000人が追悼に訪れた。」とあり。

 遊郭というと、山口瞳さんの「血族」も思い出した。「戦後」が生き永らえたことと、「戦後」が継承されるのか、ということ、そんなことが気になる。

 今日は児童図書館研究会の関係者が来店。赤ワインで歓迎。

2018年08月06日

残日録18 ミサイル防衛

 雑誌「k-peace 8月号」が届いた。「婦人新報」の改名した雑誌。編集兼発行人は「公財 日本キリスト教婦人矯風会」で1886年設立という歴史ある団体。今月号は「〝安全保障のジレンマ”を越えて」。孫崎享(ウケル)氏の講演会の要旨が掲載されている。「平和を希求する方々の弱点は軍事の勉強をしていないことです。ゆえに「日本でも軍隊で防衛をすべき、そのために改憲をすべき」という声に有効な反論ができない」とある。前田哲男のほかに思いうかばない。孫崎氏は、元外務省国際情報局長、元防衛大学校教授、東アジア共同体研究所所長。

 ミサイル防衛ができない理由として、次の4点を挙げている。

◆弾道ミサイルは、大気圏外で秒速2000mから3000m、日本への落下時もほぼそれくらいと推定されている超高速。他方これを遊撃するPAC3の速度はマッハ5、秒速1800mで、迎撃するほうが遅い

◆北朝鮮は日本へ攻撃できるノドンを200から300実戦配備していると言われる。中国は、日本を狙える短距離弾道ミサイル・中距離弾道ミサイルを1200以上配備していると言われる。これらの配備場所を日本政府は把握できていない。かつ、北朝鮮・中国が日本の政治・経済・社会の中心地を狙うとして、その着弾地を1m以内の精度で把握できなければ遊撃するための軌道計算ができないが、そんなことは不可能である。

 それでも「ミサイル防衛成功」の報道があるではないか、と思われますか? 成功するのは、軍事基地の核弾頭へのピンポイント攻撃に対する防衛だけ。広範囲におよぶ我々の生活圏を守れはしません。

◆300㎞以上の上空を飛ぶ弾道ミサイルを撃墜するのは不可能

◆時々、敵が攻撃する以前に相手国ミサイルを破壊してしまえという敵基地攻撃論が述べられるが、北朝鮮の、日本を攻撃できるノドン200から300発の配備場所をも把握していないでどう攻撃できるのか。数発破壊できても残りで報復攻撃される

 

 こういうことをマスコミは取りあげないなあ。

 ではどうしたらよいのか。

 「この(欧州)の例にならい、東アジアでも「東アジア共同体」を模索し、「憎しみ合い」から「協力の果実を認識し合う」体制をとる時です。「協力することによって武力紛争を回避しよう」という観念は、異なる政治体制間でも十分に成立するのですから。」

 

2018年08月12日

残日録19 読み聞かせ講座

 今日から金曜日の午後の3日間、読み聞かせの講座を木之本の江北図書館で行います。第1回は発声練習と絵本の読み方、あと2回が実際に絵本を読んでの講習です。

 読み聞かせの講座は、あちこちでやってきました。

 聞かされる側の子どもが犠牲にならないように、と注意を喚起します。朝から「暗い本」を読んではいけない、ということも大切なことです。

 また読む本も「一つの花」「すみれ島」「かわいそうなぞう」といった寓話は、8月だからということで読みたい人がいるかもしれないが、お勧めしないことをさりげなく伝えます。

 ずいぶん前のことですが、滋賀県教育委員会の教師のための読み聞かせ講座の立ち上げにかかわったことがあります。その時の担当者の子どもが俳優の林遣都さんと同じ学校の同級生で、林さんの卒業式での答辞が素晴らしく、滂沱したことを熱意をもって語ってくれたことが記憶に残っています。

2018年08月17日

残日録20 手土産

 図書館界の大先輩である元八日市市立図書館長の西田博志さん宅に、米原の北新豆腐店の豆腐を持って行った。去年の秋は、MIHOミュージアムの豆腐だったが、このところ忙しくてそうはいかない。思い出したように1~2年に一度「豆腐」なのだ。お留守のこともあって、そういう時はどこかに嫁に出す。

 北新豆腐店は公式サイトで通販もしているくらい評判店だ。

 MIHOミュージアムのほうも有名で、姫路ナンバーの車に6丁運び込まれたときは驚いた。名古屋にあった西洋骨董を扱う西山画廊の西山さんから教えられた。ミュージアムの展示品に圧倒されてふらふらになったけれど、豆腐でほっと一息つけた、とのことだった。

 西田宅には豆腐だが、あちこち出かけるときの名刺代わりの手土産は、長浜市西浅井町大浦のピーナツ煎餅「丸小船」と決めている。出版社や事務所をのぞく場合、大した用もないのに大げさにアポをとることもあるまい、と思う。社長が留守でも、訪ねたことがわかればいいのだから、「丸子船」で用が足りる。古書店を始めたのでなかなか来れないだろうけど、ピーナツ煎餅は来たがっているよ、というお声もいただいている。

 実家に帰るときは、「丸子船」+つるやのラスク+元祖堅ボーロ本舗のボーロ最中「宝の露」というラインナップ。

2018年08月18日

残日録21 友人近況

 8月14日に、大学で同期の友人が訪ねてきた。今日、メールの返礼がとどいた。

 彼は3年生から教職課程をとる動機を(明定は)与えておいて、さっさと自分は図書館業界にいってしまった。というのだが、私は図書館志望だったので、そもそも教員になるつもりはなかったのだ。ただ、教育には関心があり、「作文と教育」を購読したり、仮説実験授業の研究会に参加したりはしていた。それは、認識論につながることであり、大衆としての知の形成、といったあたりのことだった。

 彼は再任用5年間を終えて、4月から無職年金生活者だったが、最近、マンションの管理人になったそうだ。これまで、気ままな仕事をしてきたが、気ままでない時間を送ってきた人の仕事と気持ちを体験したいのだそうだ。

 それも人としていい選択だと思う。

 退職後であれ、現役世代であれ、BI(ベーシックインカム)導入後であれ、これからは多様な選択肢が生まれ、求められ、また、強いられることになるのだろう、と予想している。いままでも、だったかも知れない。

 「ぼーっと生きてんじゃないよ!」などとお上から言われたくない。

 

2018年08月20日

残日録22 健一居士

 「ビックリハウス」という面白雑誌があった(1975~1985)。鬱気味で気分がすぐれないので、2度、投稿した。「エンピツ賞」は4作ほどまとめて送ったが、どれも予選敗退。いいところまでいったものは、たぶん「エピクロスの空隙」などという難解な言葉のせいで入選落ち。

 「3ワーズ・コント」のほうは最優秀賞、優秀賞の次、準優秀賞。「きんとん・ごまめ・たずくり」を」入れ込んでコントをつくる。

 

本当のような話

        健一居士

 国境の長いトンネルを通らなければ話がはじま

らないわけではなく、トンネルを出たとしてもそ

こが雪国であるとはかぎらない。

 そういうことはどこからはじめてもよいこと

で、金東号に乗って8時間たつというのにまだ沼

津あたりというのも、東京が江戸と呼ばれていた

頃の面影を残している明治のおわりの話だからと

いうことになる。

 窓のそとは曇天で富士も見えず、どこにでもあ

るという風景である。それを飽かずに眺めている

男が丹羽という名前で、越後、豆崎に産というこ

とにする。

 となりに女がすわっている。とりたてて名前を

つけるほどの役割を演ずるわけではない。女が腹

痛をおこした時、丹羽が持っていたヅクリンをの

ませただけのことである。ヅクリンは当世流行の

和漢薬で丹羽はこれを打って生計をたてていた。

 何の表向きの根拠もなしに頭に浮んだのが事の

発端といえなくもない。――

兵庫県加古川市西神吉町岸438明定義人(24歳)

 

と掲載されている。

 

選評ノート●多彩な表現形式が現われて、なんと

もその頂点をみきわめることは大難業だ。一体何が

良いのかどうか、もうさっぱりわからないのれあ

った。ドドメーン! というとこで、芥川賞を

選ぶのもたいでしょうねってのもわかるのだ。

……健一居士君のはパロディックで良かった。

ところで1ト月にすうひゃくの同じテーマを見て

いると、よっぽど斬新じゃあないと気にとまらな

い。かといって斬新さだけでもペケになるのだ。

 

当時は個人情報について無意識だった。

 

2018年08月21日

残日録23 如是閑「パラドックス」から

 長谷川如是閑等の創刊による「大正から昭和初期の高級評論雑誌」(世界大百科事典第2版)の「我等」の大正13年12月号を物置から発掘。

 如是閑「パラドックス」から

「徳行」は屁と同じだ、大抵は高い音を立てゝそれをする。したものだけが馬鹿にいゝ気持ちで、他はたゞ「臭い」と感ずるだけのことが多い。

「孝行」は百日咳のたぐひだ。それをしている子供を見ると、堪らなく可哀相になる。自分の子が百日咳をせくのを喜ぶ親でなければ、つゞけざまに孝行する子供を嬉しがれまい。

「勇気」は糞尿だ。或る場合には同うして出さぬ譯には行かぬものだが、飛汁を浴びせられたものは災難だ。

「果断」とは外科医の勇気のことだ。一刀両断! 但し痛い思ひをするのは他人だ。

「信仰」とは「間抜け」の一種だ。だまされたことを憤るのが間抜けで、だまされたことを感謝するのが信仰だ。

「慈善」はカビの一種だ。それは食卓の余り物に咲く花だ。

2018年08月26日

残日録24 月刊誌「噂」の井上靖 

 梶山季之が責任編集した月刊誌「噂」1973年10月号の表紙の特集名は「〝文壇大御所”の内幕」。そこに井上靖も登場する。他には、佐藤晴夫、川端康成、丹羽文雄、舟橋聖一。目次の特集名は「文壇大御所になるための条件」

 

井上靖  マスコミから財界までを手中にして

 文壇人としての井上靖の歩みを、点で結ぶと次のようになる。

① 文壇へのデビュー作「猟銃」を、尊敬する佐藤晴夫氏宅にとどける。佐藤春夫に認められ、多少の回り道があったが『文学界』二十四年十月号に掲載。十二月号の、「闘牛」で芥川賞受賞。

② 舟橋聖一氏主宰の「キアラの会」(前出)同人になる。

③ 〝丹羽ゴルフ学校〟入学。(これまでも丹羽氏のことは編集者と話すときも「丹羽先生」と呼んでいた〉

④ 日本ペンクラブの理事になる。高見順氏が病気がちなので、その代役として、伊藤整氏とともに川端康成会長を助ける。

 

 ある文壇誌の編集者に言わせると、

「ほんとうに、うまい具合になっていると思うな。歩き方にムダがひとつもないんだ。しかも、作家としてはもちろん、人物としてもひとかどのものがある。どこへ行っても点数が高いんだ。点数が上がったからといってけっして出しゃばらない。」

 〈略〉

 井上氏の影響力が、財界首脳にまで及んでいることも見逃せない。川端氏亡きあと、財界から金をかき集められるのは、文壇ではこの人以外にいない。ただし、いかにも文壇人らしく、そんな能力があることは、素振りにも見せない。

 芥川賞受賞が二十四年、芸術院入りが三十九年、「先生」と呼んだ丹羽文雄氏より一年早い。いまや、文壇の〝新大御所〟として、何ものにも動じるふうがない。この秘密はどこから来るのか。

 ある編集者は、次のように解説する。

「新聞記者をやっていたから、文壇とかジャーナリズムの機能をよく呑み込んでいたんですね。作品の発表の仕方を見ても、それがわかる。文芸評論家ふうな〝孤独な男のなになに〟だどという言い方を抜きにすれば、こういうことです。まず「黒い蝶」「射程」「氷壁」などの通俗小説と「戦国無頼」「風林火山」などの大衆小説で、時間をかせぎ、大衆的人気をあおった。そこで余裕ができるとこんどは「敦煌」「楼蘭」で、芸術化への小手調べをする。その手応えがあったので、あとは、つとめて通俗性を避けて、芸術性を強調した。その芸術性については、問題があるはずなのですが、いまは、論議するには、遠くへ行きすぎています。おそらくこれから、まだまだ、変わると思いますよ。」

 

 そう、まだまだ変わっていきますよね。

 原爆や空襲で、弔われるべき人も弔うべき人も亡くなった時、その死は「殯」の時間すら与えられない。そのことを、琵琶湖で水死した遺体が見つからない時間をどう殯していくのか、という物語に転化させて経糸とし、民衆の信仰の在り様を横糸にした物語が『星と祭』だろうと読んだ。

 

2018年08月27日

残日録25 「ボーと生きてんじゃねえよ!!」

 「チコちゃんに叱られる!」チコちゃんの質問に答えられないと「ボーと生きてんじゃねえよ!」と叱られる。正解した場合、一人の時は「つまんねー奴だなぁ」複数いると「つまんねーんだよ お前らは!!」そして正解に近い場合は「やりにくいなー」

 「ボーと生きてんじゃねえよ!」これを図書館業界人に向けて言いたい気分になることがある。だがしかし、そう言いたくなる状況になることに、お前は加担していたではないか、と言われれば、反論する余地はない。という前振りをしておいて、話を進めることにする。

 私宛の先輩からのハガキがでてきた。1991年1月より私が準備室長としてかかわった高月町立図書館は1993年4月に開館した。その後、20年間、館長として勤めることになった。そこを定年退職して、大学教員になった春に届いたハガキである。

 

  4月から環境が変わり、精神的には誰にも拘束されず、気分転換ができたのではないかと思います。君 が「みんなの図書館」で『市民の図書館』を批判したことにより、図書館人として、いろんな人達にマ イナスイメージを持たれているのをご存知ですか。老婆心ながら大学教授として、余り過激な発言は控 えて、学生達のことを中心に考え、彼らのためにご尽力ください。

  全く余計なことかもしれませんが、君に誰も面と向かって、私のように言わないでしょうから・・・ ・・・。

  失礼しました。お元気でご活躍ください。

 

とあった。こういうことを言っていただけるのは、有難いことである。ただ、返事は書かなかった。

 「批判したことにより」という部分に引っかかるところがあって、そのことについて私信で書く必要はないと思った。「『市民の図書館』再読」という拙稿は、歴史的に位置付けた内容であって、批判しているのではない。「み」2018年6月号に書いた「図問研の大会基調報告案にみる資料提供:資料提供について考えた(その4)」へと継続する問題意識のもとの発端のような位置にある。

 「図書館人として、いろんな人達にマイナスイメージを持たれているのをご存知ですか」については、何となく感じていることではあった。

 現役の時に、日本図書館協会の常務理事としてNHKからの取材に応じたことがあった。クローズアップ現代が「無料貸本屋論争―複本問題」のテーマの時である。2時間ほどインタビューされた。カメラマンがディレクターに、右から写すのか、左から写すのかを聞いた。左からと指示をだした。画面の左側に中央に向けて顏が映ることになるので、これは悪役だと受け取った。それからは、勝手に都合よくカットされないように、だらだらと続くようにしゃべった。ベテランのカメラマンは見抜いていたが、若いディレクターは気付かなかったか、気づいていたが経験不足で、うまく取材できなかったのだろう。12過ぎにタイムオーバーであった。

 幸いなことに、クローズアップ現代では取り上げられなかった。ほっとしていたが、後日、Iさんから「明定は取材を受けたのに使われなかった、と小馬鹿にしている奴が関西にいる。使われないのも、使わせないのもわかっていないのがいるぞ」と教えられた。そんなことを吹聴している業界人がいることを知った。

 私のことを嘲弄することで、前川ムラの住民として「ボーと生きてんじゃねえよ!」、と当時なら言ってみたい気がする。

 前出のハガキにもどると、「大学教授として、学生達のことを中心に考え、彼らのために」尽力する,

しようとしたが、「余り過激な発言は控えて」いたかどうかは、評価が分かれるところだろう。すこぶる平常心からの発信であったように思ってはいるのだが。

2018年09月08日

残日録26 日本歴史入門講座+追記

 9月13日から毎木曜日午前に「日本歴史入門」を6回講座として開催し、講師をつとめる。会場は長浜市立木之本まちづくりセンターで、江北図書館と木之本まちづくりセンターの共催によるもの。二十数人の受講申し込みがあった。まずは出足好調。

 「日本歴史入門」は板倉聖宣さんが作成した仮説実験授業の社会科の授業書。6回で終わらなければ、来春に続きを開講する予定。終わったら、他の授業書に映ることにしている。「日本の戦争の歴史」「靖国神社」「差別と迷信」など。「続」「続々」「また」「またまた」と「パイプのけむり」のように続くと嬉しいのですが。

 来週から大学の後期が始まり、金曜日は非常勤講師の日となる。科目は「児童サービス論A・B」(2単位)と「図書館情報資源特論」(1単位)。

 月1回、長浜西中学校の土曜学習会のスタッフ。月二回の土曜日の陶芸教室もあり、土曜日も充実。

 

追伸

 9月13日から10月18日までの毎木曜日に木之本まちづくりセンターでまちづくりセンターと共催で「講座日本歴史入門」を6回講座として開催しました。(講師;明定)
 奈良時代の人口はどれくらいあったと予想しますか。「ア 6000万人」「イ 600万人」「ウ 60万人」「エ 6万人」の選択肢のなかから選びます。正解は、研究者の研究結果や統計でしめされます。

 1721年の日本の人口は、という問題が続きます。歴史人口学的な視点で歴史をみていこうというのです。江戸時代から平成までの人口はどう変化したのか、を学びました。江戸時代のイメージが新しくなります。「お金の歴史」、これは古銭の値段を見ながら、「日本の戦争の歴史」については戦死者の数で学びました。受講者27人、延べ人数118人でした。
 予想が当たったのが2人だけ、といった問題もあり、多くの参加者が何となく思っていた歴史のイメージが、客観的な統計や数字で間違っていたことを体験していただきました。
 来年4月中旬より5回講座で「続日本歴史入門講座」を予定しています。

 

追記;長浜市高月まちづくりセンターで活動している高月史談会から「日本歴史入門」講座の依頼があり、2019年2月~3月に開催することになりました。

 

2018年09月12日

残日録27 『こないだ』

 昨日、梅田で7月の研究会の全国大会の実行委員会のメンバーで打ち上げをした。その行き返りの車中で、山田稔『こないだ』(編集工房ノア.2018)を読んだ。このところ、幼年文学を店で続けて読んでいるのだが、気分転換したくなったのだ。「書く習慣」が印象に残った。「VIKING」の編集人だった黒田徹が「いい作品の条件」としてつぎの四つ挙げたことがある。とあった。

 

 一、作者が「書きたい」と思って書いたもの。

 二、いやしさを感じさせないもの。

 三、自分の言葉で書いたもの。

 四、作者の精神が隠れていないもの。

 これは富士(正晴―明定)流を受け継いでいるとかんがえてよいだろう。

 二の「いやらしさ」には時流への迎合、読者へのおもねりのほかに露な自己顕示も含まれるだろう。

 さらにもう一つ、「視点の低さ」ということがある。

 正義や権威、あるいは教養・学識の高みから他を見下ろし、裁き、啓蒙しようとする、これは三に」ひっかかるのか。

 思想や理念から見捨てられ、地べたに転がる日常生活の断片、「くだらないもの」こそが散文芸術の貴重な糧となる。

 文章は公的なものと私的なもののせめぎ合いのなかで書かれる。文章を書くもっとも深い動機である詩的なもの(右に挙げた条件の一に当たる)、「おそらく人の注意を惹こうとして赤ん坊が泣くのと同じ本能」(オーウェル)に誓いこの私的な動機を、文章表現のなかで殺さずにいかに保ちつづけるか、これがもっとも大切なことかもしれない。(p137-8)

 

 この次に電車にのるときは、どんな本に出合えるのか。読んでおきたい本がまだまだある。女性が書いた官能小説と百合小説について意見を求められたが、返事ができていない。これは機会をつくって集中的に読破するしかない。

 昨日の会ではBLの木原音瀬(このはらなりせ)の話が出たので、鳩村衣杏の職域ものを、女性の社会進出という切り口で紹介した。

2018年09月16日

残日録28 『近江商人の哲学』

 山本昌人『近江商人の哲学――「たねや」に学ぶ商いの基本』(講談社現代新書 2018)は、たねやの社長の書いた本。

 

 世の中には「手作り信仰」というか、手作業のほうがおいしいという思い込みがある気がします。とんでもない。実は、和菓子は人間の手間が加われば加わるほどダメになっていきます。

 饅頭を作るとき、あんこを生地で包む作業を「包餡」といいます。テレビでよく目にするのは、職人が包餡したあと、手のひらの上で少しずつ回転させながら形を整えていく姿ですが、あれでは確実においしくなくなります。

 私は「現代の名工」をもらった菓子職人のもとで修業しましたが、このクラスになると、もう包餡した瞬間には完成している。ポンポンポンポンと、すごいスピードで、手にふれている時間がほとんどない。

 うちで出している「末広饅頭」は、黒糖を使った小さな饅頭です。法案から蒸して包装するところまでベルトコンベアで完全に自動化していますが、生地は流れるような液体なので、人間の手で包餡することは不可能です。

 もし手作業でやるとなったら、どうするか? まずは生地をもっと硬くする必要があります。さらに、生地がひっつかないよう作業台に粉を振り、手にも粉をまぶす。粉を加えることで、生地はさらに硬くなっていくわけです。末広饅頭の柔らかな触感は、絶対に機械でないtとできません。

 包餡後、生地がだれてこないうちに大急ぎで蒸して、熱いうちに包装する。こうすることで菌の繁殖を防ぐことができます。人間の手には、どんなに消毒しても菌がいます。だから、お菓子によって手作業だと二~三日しか日保ちしないものが、機械でつくると二週間もつようになる。その違いは、出荷時点の菌数によるのです。

 ……

 もちろん、手作業でないと無理なこともあります。それを機械化しようとするのは、間違っている。

 例えば薯蕷饅頭の法案は、いまだに一個一個、手作業でやっています。触った感触で蒸し時間を決める必要があるからです。固定された配合がなく、そのときどきで水や砂糖や芋の量を決める、非常に繊細な作業で、機械化には向きません。

 ……

 要は、手作業ですべき部分と、機械に任せたほうがいい部分を見極めるということ。うちでは、どちらで作るのがおいしいかを必ず比較検討してから、機械を導入するべきか判断しています。

 業界でも早くから機械化に取り組んでいるせいで、うちには一号機が多い。バームクーヘンを焼く機械もそうですし、ふくみ天平を作る機会もそう。「五六あわせ」という、ところてんのように押し出すプラスチック容器にゼリーを詰めた商品があるのですが、これを作る機械も一号機です。

 一号機を作るにはお金がいります。でも、機械メーカーとしては、うちがヒット商品を出せば、その機械が同業他社に売れるので、非常に協力的です。私たちもいろんなことが試せる。「機械で作るほうが本当においしくなるのか」という実験にも協力いただいています。

 (P50~54)

 

 読むとあたりまえのことのように思うが、たしかに「手作り信仰」に陥りがちなところがあって、「手打ち」蕎麦や饂飩に引き付けられて、不ぞろいの蕎麦をありがたがる、といった光景に出合うこともある。「仮説―実験」の論理が随所にある一冊だった。

 「ラ コリーナ近江八幡」について何も知らなかった。平日でも人でいっぱいなので敬遠していたのだが、甘いもの好きとは違った視点で再訪したくなった。

 

 

2018年09月23日

残日録29 「岩波新書創刊80年」

 「図書」の臨時増刊号「はじめての新書」がとどいた。岩波新書は日本で生まれた「はじめての新書」。これが創刊80年を迎えた。それを記念して、新書についてのエッセイや読書案内の特集が組まれたのだった。「はじめての岩波新書」という50点の書店フェアも展開されている。50点のうち、読んだ記憶があるのが24点だった。最近のものは、買ったが読んでいないものもある。

 新書を読み始めたのは高校2年生の頃で、最初は梅棹忠夫『知的生産の技術』あたりのようである。高3の3学期に丸善に行き、京大型カードを購入し、大学でノートがわりに使っていた。

 20~30歳代は、新書をたくさん読んだ。久野・鶴見『現代日本の思想』の影響で、「思想の科学」系の読み手となり、『思想の科学 別冊6 教育の解放』1972年4月号の、稲葉誠也「図書館を拠点とした文化活動—―中井正一の場合」と出会い、司書を目指すことになる。

 内田義彦『社会認識の歩み』も繰り返し読んだ1冊。自分の言葉を獲得するまでの、よき導き手であった。どこの業界でもありがちなことだろうが、自分の言葉で表現する、表現できる図書館員が少ない。私が書いた『〈本の世界〉の見せ方』は「独特の表現」と評されてもいるが、独特でない表現、というものは客観的な叙述であって、また別の世界である。

 出口治明氏がとりあげている、市井三郎『歴史の進歩とはなにか』からも多くを学んだ。

 

 どのような人種・民族・階層の一員として生まれるかは、各人の責任を問われる必要のない事柄である。また幼少時に、どのような文化パターンの鋳型にはめこめられるか――特定の言語で思考し、特定の社会感情を身に着け、多くの場合、特定の宗教に結びつくようにさえさせられること――は、これまた各人の責任を問う必要のない事柄なのだ。

 その種の事柄から人間がこうむる苦痛は、」これまでなんと巨大なものであったことか。そしてまもなく説明するように、今なお巨大なものでありつづけている。この事実そのものは、経験的認識の領域に属する。だからさっきのべた経験的(探求の)合理性を、完全に発揮しうる知的領域である。したがってわたしの提起したい価値理念のうち、いわば純粋に倫理的な部分は、その種の苦痛を減少させようという提案、それを減少させるためには、みずから苦痛を負う覚悟の人間が出現せねばならないという自覚をうながす部分(略)なのである。P142~3

 

 ただ単に苦痛一般をなくしようという理念は、みずからを実現するために必要な創造的苦闘をも(理論的に)否定することとなり、論理的自家撞着におちいってしまう。不条理な苦痛を軽減するためには、みずから創造的な苦痛をえらびとり、その苦痛をわが身にひき受ける人間の存在が不可欠なのである。P148 「一般」「不条理な」に強調の「ヽ」あり

 

 最近は書店で新刊の新書の目次を見ることはあっても、購入することはめったにない。図書館で借りればいいので、後回しになる。目を通しておきたいものが山積している。なのに図書館から南陀楼綾繁『蒐める人』を借りてきた。永井龍男『秋 その他』は期限が来たので再貸出しを願うことにする。

 

2018年10月01日

残日録30 永井龍男『秋 その他』

 1970年代の短編集。あとがきに「もともと視野の広い男ではないが、年を重ねるにしたがって、身辺の瑣事を材料にしたものが多く、さればと申して私小説としても中途半端だ」と永井自身がかいているが、随筆集ではないところがおもしろい。随筆にしてしまえばいいものをと思うかもしれないが、そういうわけではない。表題になっている「秋」は、「月見座頭」という狂言を観たことと、娘の嫁ぎ先の義母の死と、瑞泉寺で月を肴に酒を呑むという3つの話が、絡みそうで絡まないのだが、虚実を混ぜて「秋」の気配を感じさせる一遍となっている。

 

 日曜日には、ほとんど来訪客はない。

 ベルが鳴るので玄関へでると、若い女性が口語訳の新しい聖書を備えぬかということだった。われわ れ年配のものには、昔ながらのものがよいと云って断る。玄関うちの竹叢から、今年竹がが高々と天を 突いている。今年はその数が多く、それぞれが細かい葉を解いてゆれるのは清々しい眺めだが、いずれ 古い竹を間引き、今年竹の丈も詰めなければならない。梅雨の重みで、すでにこちらへ弓なりにしなっ てきているのも数本ある。

 玄関から客を送り出した後、すぐ鍵をかけるのをいつも私はためらう。その音がすぐ客の耳にはいる のはなんとなく申し訳ない気がして、門を出るまで待つ習慣がついた。玄関のすぐ脇に、昨日から山梔 子が一花二花咲き出し、反対側を見上げれば、ざくろの紅い花も数えられる。私は戸口まで出て、外の 空気に触れた。         
「昨日今日」より

 

 読ませるなあ。

  

 

 

2018年10月14日

残日録31 幼年文学

 このところ、幼年文学を読んでいる。

 「10歳の峠」感覚的な思考から抽象的・論理的な思考へと転回していく時間の児童文学。

 

 宮川健郎は「日本児童文学 1013.3-4 特集子どもが読むはじめての文学」で、音読する「声」をとりもどさなければならないのではないか。と書いている。

 

 読者層の中心を幼年から十代の子どもへと引きあげ、読んであげる「声」とわかれて書きことばとし て緻密化していく、そして、「文学」と主題を共有する。—―こうした現代児童文学のあり方そのもの が、幼年文学の危機をまねいた。幼年に向けて書かれた読み物も、それなりの数が出つづけているけれ ど、すでに評価の安定したものが、くりかえし読まれている。……もう行くところまで行ってしまった 現代児童文学は、音読する「声」をとりもどさなければならないのではないか。/それなら、いま、「 子どもたちの「聞くことのコップ」を満たす物語はあるだろうか。


 宮川の紹介している、石井睦美『すみれちゃん』、市川宣子『きのうの夜、おとうさんがおそく帰ったそのわけは……』、岡田淳『願いのかなうまがり角』などを読んだ。確かに「ト書き」といった説明文や、散文による情景描写がないもので、すみれちゃんの独り言だったり、おとうさんの語りであったりして、黙読していても、声が聞こえてくるような文体になっている。「聞くことのコップ」を満たそうとしてくれている。

 石井直人の「おそらく読書に2種類あって、読んだことを他人と共有する読書と、私だけが私有する読書がある。幼年文学は、「母と子の20分読書運動」のように、前者に属する。そして、後者こそが私を自立させるのだ。あるいは、私を孤独にするといってもよい。児童文学論は、従来、この2種類をあまり区別しないで読書一般を奨励すべきものとみなしてきたのではなかったか」という論を引いて、宮川は、「聞くことのコップ」を満たす読書と、「孤独」=「自立」につながる読書があることを指摘している。

 そういう視点で幼年文学をみると、どちらもが不足しているといってよいだろう。

 「10才の峠」には内語の発達がかかわっているのだろうと思うが、このあたりはどうつながっているのだろう。

 

 

 

2018年10月17日

残日録32 井上靖『星と祭』復刊プロジェクト

 井上靖の『星と祭』が角川文庫で長らく品切れになっている。湖国の、特に湖北の観音様がたくさん出ている小説である。渡岸寺の十一面観音像を世に知らしめた小説でもある。

 この小説を復刊しようということになって、井上家や角川書店とのやりとりをしていたが、ようやくゴーということになった。実行委員会に渡岸寺の国宝維持協賛会の会長にも加わっていただくことになった。以前は観光バスで参拝客が多く訪れてもいたが、最近はそうでもないようだった。

 旅行社とタイアップして湖北の観音巡りツアーなども、復刊プロジェクトと同時進行で進められたら、という意見も出ている。

 湖北の観音像の展覧会が数年前に東京で開かれたときには、たくさんの人が観ておられた。その後、上野に「BIWAKO NAGAHAMA 観音ハウス」ができた。この2~3年、東京に行く機会が少なくなって、まだ行けていない。 

 

2018年10月21日

残日録33 寛容

 牧衷は「寛容思想の成立と発展」(上田仮説出版)で「ルールとしての寛容」を論じている。精神論や道徳的な寛容ではなく、政治的な寛容。

 

 俗にくだけますと、テーブルマナーになるんです。「食事の席では宗教と政治の話をしない。」ということになるんです。政治と宗教の話になると血を見ることになる。だからお互いに譲れないことはフタをすることにしたんです。お茶買いに譲れないことを認め合って、楽しく食事をするという大目的のためにそこはフタをしちゃおうということが、テーブルマナーです。

 ロックの『寛容論』にテーブルマナーが書かれているわけじゃない。そこからの知恵なんです。そこから発展して導かれたテーブルマナーが社会的文化基盤を作るんです。

 そうすると外交のほうでもそういうことが起こります。外交上の概念にAgree to Disagreeというへんてこりんな概念があるんです。Agreeは同意する。Disagreeは同意しない。不同意の同意、なんだこれは。 

 これが両方が引くに引けない主張をやってしまう。そうしたときに、この問題はお互いに引くに引けないんだ。テーブルマナーと同じ。だったら、それにフタをしてお互いに共通にもっと利益になることをやろうじゃないかという外交政策上の知恵です。

 

 小泉総裁以前の自民党は寛容度が高かった。総務会が機能していたのである。

 ウィキペディアによると「自由民主党総務会は、自由民主党において党大会・両院議員総会に次ぐ党の意思決定機関であり、常設機関としては最高意思決定機関である。定員は25名議長は総務会長が務める。」「総務会で可決された法案には「党議拘束がかからない」とする旨の文言がある場合を除いて、党議拘束がかかる慣例になっている。また、党則では総務会が多数決が明示されているものの、党内に亀裂を残さないために事前にオブザーバーにあたる総裁や幹事長など党幹部の同意を得て全会一致を原則とすることが慣例化されている。小泉純一郎が総裁に就任してからは、総務会による事前審査なしでの政府案提出や多数決による採決が行われることもないわけではない。」

 では、議題に反対する総務がいる場合にはどうするのか。

 ここで、日本的な知恵の見せどころである。

 この「場合は反対意見を述べた上で退席し形式的に全会一致としていることである。これにより次の効果がある。まず、総務を通じて党内各グループの了承を得なければ、予算案や包餡を提出できない点がある。次に総務を通じて各グループが反対意見を表明できることから、グループ間の決定的な亀裂を防ぐ効果がある。また総裁が党内の信任を失った場合、総務会を通じて党議拘束等で影響力を行使できなくなるため、両院議員総会によらず早期の退陣を促す効果がある。」

 西川伸一「自民党総務会とはなにか」(フラタニティ№2 2016.5)では


  堀内光雄元総務会長によれば、「総務会は自民党議員ならば誰でも室内に入って会議を傍聴できるし 、誰もが番外発言と称する意見を述べることができる」。とはいえ、傍聴を希望する議員はあらかじめ 総務会長にその胸を申し出るのが慣例になっている。また「番外発言」をする場合も、総務会長に事前 通告しておくことが一般的である。それがなければ、総務会長は「番外発言」を無視する。

  堀内は全会一致の慣例について、「自民党総務会は、多様な意見を持つ議員の意見を集約する場であ り、政権を支える与党の最高意思決定機関であるから、異論が続出しても最後には全会一致の原則を守 ってきた。これは、国民政党としての自民党が約四十ねんにわたって維持してきた良識であり、議員内 閣制のわが国の政治が安定していた基盤である。」としている。

 

 日本的な組織としての寛容と言えるのかもしれない。もちろん、これはムラ内の意思決定であって、決定的な対立関係の歴史から生まれた<寛容>ではないのだが。

 

2018年10月24日

残日録34 公立図書館の団体貸出

 公立図書館の団体貸出について、YAHOO知恵袋でのベストアンサーは

「団体貸出は、子ども会や地域クラブなどに、多数の本を一括して管理を委託し、その団体の中で貸出をしてもらうものです。貸出期間は、3ヶ月から半年程度が多いでしょうか。団体貸出の図書には、その旨の印がついています。なお、図書館の蔵書検索では、団体貸出の図書はヒットしない図書館がほとんどです。」

とある。

 いくつかの図書館の団体貸出の案内を検索してみると、いろんな団体貸出が行われていることがわかる。期間は1カ月もあれば3カ月もある。団体貸出用図書に限るところもあれば、そうでないところもある。

 1965年あたりから、それまで行われていた「団体貸出」(図書館側が数十冊をセットに組み、団体に本を提供していた)ではなく、「個人貸出」を中心に館運営をするようになって、団体貸出は否定的に扱われるようになる。その後、地域文庫などから団体貸出を求められて、その対応として団体貸出用図書というものが生まれることになったりする。

 そんななか、このベストアンサーとは違って、個人と同様に図書館の本が利用できる団体貸出が行われるようになってきている。学校支援の団体貸出では、いろんな本が求められるようになった。

 団体貸出は「市内に所在する、家庭・地域文庫、おはなしボランティアグループ、会社、学校、施設、PTAなどを対象に」(豊中市)しているし、団体、役所の各課も対象になる。

 団体貸出はあまり論じられることがない。その貸出数も図書館評価の対象になるのだから、もっと論じられていい。その昔の「団体貸出」とは違っている。団体貸出といっても「巡回学級文庫」は昔の復活版のようでもある。統計としては区分する必要がある。

2018年10月30日

残日録35 年賀状

 来年の年賀状の印刷を注文する時期がやってきた。この年賀状は私だけでなく弟も友人も使うので、近況報告ということにはならない。

 一昨年、中野重治の詩「歌」と「雨の降る品川駅」をネタにしてつくった。「雨の降る品川駅」では正月らしくないので「品川駅の常盤軒」として「出会いと別れのその時」とつないだら、真面目な先輩からハガキが来て「常盤軒」はあの駅そば店ですか、とあった。昨年から元ネタを書き添えている。

 出来不出来はあるが、年に一度の創作。楽しみにしてくださっている方もいる。たまに、これは上出来という年もあって、そんな賀状はまた使いたくなるが、そうもいかない。小津安二郎の映画のパロディーは絶賛だったが、二番煎じはいただけない。

 来年は猪年。今年よりいい年になるように、と思うが、これといって明るいネタが浮かばない。来週中に印刷屋にまわさねばならない。さてどうしたものか。

 

追伸;今年のネタ元は、渋谷天外の「私は喜劇を見たことがない」とした。

 

2018年11月03日

残日録36 『星と祭』+追記

『星と祭』

 

井上靖の小説『星と祭』は1971年5月11日から翌72年4月10日まで朝日新聞に連載された。これによって、渡岸寺の十一面観音をはじめとする湖北の観音像は全国的に注目されることとなる。井上はこの小説の執筆以降、数年にわたり近しい人々に、観光大使のごとく振る舞い、この地の観音信仰を紹介した。
少女みはるは終戦後の混乱期に分かれた先妻との間にできた子である。離婚して母の下で育てられた高校生のみはるが、大学生の青年と琵琶湖でボート転覆という思いがけない事件で短い一生を終える。主人公は少女の父の架山である。架山には青年の父親の大三浦は愚鈍に見える。こんな人物の息子と一緒に死んだと思うと救われない気持ちになる。青年の友人から聞くかぎり、義理でも優秀な大学生とは思えない。二人の遺体が水没したままあがらない。死亡ではなく行方不明の状態が続くことになる。
葬儀もできない、戸籍からも抜けないその後の七年間、架山は湖という場所をことごとく避ける日々をすごす。とともに、亡き娘と対話する時間が生まれる。もちろん内語ではあるのだが、仕事上のことでも対話によって決断するまでになる。架山は、生と死の間にある殯(もがり)の時期にあるみはるへの挽歌として会話をしていた。
七年後、架山は琵琶湖を訪ねることにした。そこで、大三浦と再会する。大三浦は琵琶湖畔の秘仏である十一面観音を拝むことで息子の死を受け止めようとしている。信仰ではなく、湖中に眠っている二人を守ってくれている十一面観音に礼を言っているという大三浦に、架山は同調しない。二人を一緒に考えたくないのだった。その気持ちが、大三浦に誘われて十一面観音巡りを始めるなかで静められていく。
エベレストへの観月旅行に行った架山は、そこで「永劫」という思いを抱く。「みはると青年の死の真相が何であるか知るべくもないが、永劫の時間の中に置いてみると、そうしたことは意味を失い、そこにはただ若い男女の悲しい死があるだけであった」という境地に行きつくことになる。
大三浦とともに春の満月の下、琵琶湖に船を浮かべて二人の供養をする架山は、長かった殯の期間を終わらせることになる。「燦として列星の如し。――そんな言葉を今になって架山は思い出していた。つらなる星のように、十一面観音は湖を取り巻いて置かれ、一人の若者と一人の少女の霊は祀られたのである。」
水死ではあるものの遺体が見つからない、七年たったから死亡届を出す。という法的な処置があっても、人の気持ちが片づくわけではない。主人公架山と青年の父大三浦の七年間は全く違った時間ではあったが、十一面観音を巡るなか人々の信仰の在り様に出合い、架山は愚鈍に見えた大三浦と連なる無名の人々の営みのなかに、素朴や謙譲を見いだした。
『過ぎ去りし日々』には、「最愛の子供を亡くした親たちの、その悲しみへの対い方は、私には二つあるように見えた。一つは、運命だという考え方で自分を納得させることであり、もう一つは諦め切れないで、いつまでも悲しみの中に自分を置き、すべてを歳月に任せるという身の処し方である。」運命だと感じることによって自分を納得する諦めの道をとろうとする架山と、ひたすら仏にすがり、死者の霊を祀ることで、魂を鎮めようとする大三浦。「二人を、その大きい悲しみから少しでも立ちなおさせるには、これしかないと考えたのである。」とある。
この小説は、予期せぬ子の死を弔うまでの物語であり、信仰の在り様を問うものでもある。
井上靖は湖北の人々に、観音様は修業の身なのだから、秘仏にしないで衆生の悩みを聞いていただくようにしたらいい、とよく話していたという。

 

 大三浦を軽蔑していた主人公の架山が、最後には大三浦に連なる衆生の一人となることで、殯を終えることができた。

 

 追記;井上靖研究会で、佐藤健一氏から、井上靖の文学の基軸は「詩」であり、そこから小説や随筆、脚本が生まれるのではないか、という仮説をうかがった。井上の詩には民衆を題材にしたものがある。それらが『星と祭』として小説となったのかもしれない。

 井上靖は軍医の子として生まれ、親戚にも医者がいたりする。中学、高校、大学と進学するのは、家庭的に恵まれ、かつ秀才であったろう。そんななかで成長し、新聞記者となった井上にとって、民衆は遠い存在であったことと思われる。

 京大の吉田山の近くのうどん屋のおやじのような一刻者が数少ない親しい民衆であった。詩にしてはみたが、井上にとって民衆は「謎」ではなかったか。井上文学の主人公は、架山のような貿易会社の社長であったりするのだが、民衆のさまざまな類型の中から人を登場させることは少ないように思われる。大三浦という人物を描くことで民衆に接近しようとしたのではないだろうか。

 『美しきものとの出会い』の取材で渡岸寺を訪れ、観音堂を守る人々と出会うことで、井上はうどん屋とは違った民衆と出会うことになる。その中心にいた山岡外次郎も一刻者として井上の周囲では受け止められている。渡岸寺の国宝維持保存奉賛会の人たちとの時間は、十一面観音と対座する時間とともに、井上に取って大切な時間であったことと思われる。

 『星と祭』に十一面観音が祀られているお堂に入ると、床がコンクリートで固めらているという箇所がある。聞いてみると、床下から竹が生えてくるので、それをふさぐためだという。インテリ達が怪訝に思ったり、愚行と受け止めたりするところではあるが、井上は生活者の論理としてさらりと書いている。架山が大三浦の側に近づいていく伏線となっている。

 看取られるはずの者が、看取るはずの者を失う。その悲しみを描くことになったのは、ある新聞記者が、原爆で看取る方も看取られる方もなくなった、その魂はどうしたら弔われるのでしょうか、と井上に問うたことがあったからだ、とご子息の井上修一氏が話されたことがあった。原爆ではないが、災害による多数の死の中に、こうした死がどこにでもある、という時代にあって、『星と祭』は読み直されていい小説であるに違いない。

 信仰の在り様を問う小説でもある。寺によって信仰が支えられているわけではなく、民衆の生活のなかに組み込まれた習俗が信仰を支えていることを伝えてくれる小説でもある。

2018年11月18日

残日録37 チャペックの言葉

 われわれ園芸家は未来に生きているのだ。バラが咲くと、来年はもっときれいに咲くだろうと考える。一〇年たったら、この小さな唐檜が一本の木になるだろう、と。早くこの一〇年がたってくれたら! 五〇年後にはこの白樺がどんな気になるいか、見たい。本物、いちばん肝心のものは、私たちの未来にある。新しい年を迎えるごとに高さとうつくしさがましていく。ありがたいことに、わたしたちはまた一年歳をとる。

チャペック『園芸家12カ月』より。   

2018年11月27日

残日録38 『評伝 小室直樹』読了

 『評伝 小室直樹』村上篤直 ミネルヴァ書房 2018 を断続的に読んでいたが、ようやく読み終わった。

 私は若くして、自分とはかけ離れた頭のいい人がいることを知ったので、無理して頑張ることはしてこなかった。凡人は天才になることはないのだが、努力して秀才になることもない。超秀才の一人に小室直樹がいる。丸山真男・京極純一・川島武宣・大塚久雄・中根千枝・富永健一らに学びつつ研究、執筆した在野の研究者である。弟子として、橋爪大三郎・宮台真司・副島隆彦・大澤正幸らがいる。

 小室の冷静な「理論と分析と解説」からは大いに学ぶことができたが、過剰な「エートス」は遠ざけるところだった。中期までの著作はよく読んだが、途中下車しているうちに逝去されてしまい、読まない本が後期の著作になってしまった。

 評伝は小室の「過剰」につきあった人々の物語でもあった。

 過剰な破滅型の人生であったが、当人はそういうことには無自覚だったようだ。

 この本に、小室の理解者として社会学者の吉田民人が少し出てくる。社会学を学んでいたころ、吉田民人の「資源-情報パラダイム」論を熱心に読んでいたことを思い出した。(吉田夫人とは、子どもの読書について雑誌で対談したことがある。)その延長で、飯尾要の著作もよく読んだ。若いころはよく読めたのだった。いな、読めた気になっていたのだった。

 

 

2018年12月18日

残日録39 「身体的文化資本」

 講談社PR誌「本」に平田オリザが「22世紀を見る君たちへ」という連載している。2019年1月号は「第7回「身体的文化資本」という問題」。

 ブルデューが提唱した「文化資本」という概念は、三つの形態に分けられる。

 

一.「客体化された形態の文化資本」(蔵書、絵画や骨董品のコレクションなどの客体化した形で存在する文 化的資産)

二.「制度化された形態の文化資本」(学歴、資格、免許等、制度が保証した形態の文化資本)

三.「身体化された形態の文化資本」(礼儀作法、監修、言語遣い、センス、美的性向)

 

(平田)

 一は、お金で買うこともできる。もちろん何を買うかのセンスは問われるし、親から譲られるものが多く含まれれる点では、ここでも格差は歴然と存在するが、財力などによってのキャッチアップも可能である。

 二は、成人になってからでも、本人の努力によって獲得可能な部分が多い。この点も、そもそものスタートラインが違うという経済格差の問題はあるが、後述する身体的文化資本はに比べれば、まだ努力のしがいのある領域ということになっている。

 問題は三の身体的文化資本である。

 この身体的文化資本を「センス」といってしまうと身も蓋もないが、「様々な人々とうまくやっていく力」とでも言い換えれば、それが二〇二〇年度の大学入試改革以後に求められる能力に、イメージとして近づくだろうか。これまで述べてきた「主体性・多様性・協働性」はいずれも、この身体的文化資本に属する。これを、これまで使われてきた言葉で言うなら、広い意味での「教養=リベラルアーツ」と呼んでもいい。

 ブルデューが挙げたのは、美的感覚や感性を含むセンスやマナー、味覚あるいはコミュニケーション能力なのだが、私は最近、これに加えて、人種や民族、あるいはジェンダーや性的少数者に対しての偏見がないかどうかも含めて説明している。

 

 「身体的」文化資本は、できるだけ若いうちから、理屈ではなくセンスを身体に染み込むませていかなければならない。と平田は書いている。

 経済的に有利で、首都圏や京阪神に住んでいて、美術館や博物館にいったり、音楽や演劇を鑑賞させることができる環境で育てられた人たちが「身体的」文化資本を獲得することができる、とならば、「子どもたち一人一人の身体的文化資本が育つような教育政策に切り替えていくことだ。そのためには、地方自治体が教育政策と文化政策を一体化させ、特に貧困層に対して文化による社会包摂的な政策を充実する必要がある」という。

 

 そんな政策を待つことができない地方の中・高校生がとりうる選択として、首都圏や京阪神の大学や専門学校に進学または就職することぐらいしか思いつかない。中卒で都会に出る方が良い場合だってあるだろう。

 2人に1人が大学に行く時代が続いている。行かない方がいい場合だってあるだろう。大卒の採用はしない、という中小企業を知っている。高卒で経済的なゆとりを獲得し、ライブに出かけたり、たまに高級なレストランに行ったり、お稽古事をしたりする時間を持ちうる。その体験が「身体的」社会資本を獲得することにつながるいのではないだろうか。

 日本が多様性を確保できる社会となり、創造性によって国際競争力を強めることができるためには、教育は変わらざるを得ないのだろう。変わるべくして変わるのではあるだろうが。

  

2018年12月25日

残日録40 新年ご挨拶

頌春

歴史は繰り返す。一度目は悲劇として。 と、

ここで目が覚めた。二度目が笑劇なのか喜劇

なのか。黒犬に訊いたら「面白くない」と言

う。猪に訊いたら「私は喜劇を見たことがな

い」という。 「なぜ本当の喜劇が生まれてこ

ないのか。観客がお笑いや笑劇を好むために

喜劇的なものが生まれてこない」という言葉

を思い出した。笑とは緊張の緩和なのだが、

だらけ切った薄笑いや嘲笑のなかで奇声の緩

和が進んでいく。それを見据えるなかから、

喜劇は生まれる。

ネタ元;渋谷天外「私は喜劇を見たことがな

    い」

 

今年の賀状。

林達夫・久野収『思想のドラマツルギー』(平凡社 1974)の「八 平衡感覚としての「俗」のなかの「笑いのある芸術、その最初にして最後なる民話劇」のところに出てくる渋谷天外の論考をネタ元にした。岩波の『文学』で林が「笑い」の編集プランを担当した時の話。

 

林 そこで映画の岩崎昶、演劇の茨木憲に来て貰い、三人でプランを考えたんです。その五、六年前に、やはり『文学』で「笑い」という特集をやっていて、その巻頭を柳田(国男—明定)が書いているんです、「日本の笑い」という題で。僕たちの場合は、当然違うアプローチにならねばならぬ。何しろ「今日の笑い」というのが、この第二の特集号のタイトルですからね。それでまず笑いの芸術の今日的な実作者に書いてもらおうということになり、小説ではきだ・みのるを起用しました。

 ……

 それから、映画やテレビのドラマを書いている作者では、今の花登筐の先代みたいな長沖一を入れていますよ。飯沢匡、市川崑、これは衆目のみるところ問題なし。ところが、渋谷天外を入れようと僕が提案したら岩波の編集者たちはびっくりしちゃってね、内心。なかなか首を縦に振らない。〝これ以外にないじゃないか‘’と強引に押し切ってパスさせた。今はそうでもないでしょうが、当時の岩波の編集人にあった、アカデミックなものをよしとする古い体質が、この一事でよくわかりますね。

久野 渋谷天外は、上方にわかの伝統やもんね。

林 おそらく『文学』のごとき「高級雑誌」から、渋谷天外は原稿依頼を受けたことがなかっつたでしょうね。それでも原稿を書いて送ってきた。きてみると一番面白いのが渋谷天外の原稿です。図星でした。

  (同書 P240~241)

2019年01月05日

残日録41 「不活発な心の状態」

 加藤諦三が朝日新聞のPR誌「一冊の本」2019年1月号で「「心の葛藤」の3つの解決法」というエッセイで、カレン・ホルナイという精神医学者の説を紹介している。

 ①自己拡張解決型 ②自己消滅解決型 ③降りる、撤退する

の3つの解決方法があるという。加藤の言葉でいうと①が「認めてくれ」タイプ、②が「分かってくれ」タイプである。③は「人生の戦線からの撤退型」である。

 この③について書かれているのが興味深いので紹介する。

 

 さてカレン・ホルナイの分類の最後の「降りる」とは活発な精神的生活を諦めることである。カレン・ホルナイはActive psychic livingと書いている。つまり「降りる」は真のsolutionではない。

 数年前であるが、若者のことを「悟り世代」とメディアが言い出したことがある。

 しかしその「悟り」とは「降りる」ことであり、カレン・ホルナイの言う「不活発な心の状態」である。生きることを放棄した心理状態である。

 メディアが騒いだ「悟り」とは、本当の悟りとはおよそ関係ないどころか、正反対のことである。それは他者に対する積極的な感情の喪失でもある。オーストリアの精神科医ベラン・ウルフの言葉を借りれば、退却ノイローゼである。人生の戦場から撤退した若者たちである。

 ネットで言い出し主要メディアが報道し始めた「悟り世代」とは、勝ち組でも負け組でもなく、競争から降りた人々である。英語で言えばカレン・ホフナイの言うRecoiling from competitionである。社会的貢献や、競争からの撤退である。

「悟り世代」と言った人々は、人生の戦場から撤退した若者を、間違って解釈した。本当の「悟り」とは競争をして失敗しても受け入れるということである。勝ち負けを超越しているということである。

英語の論文では例えば「いつ人はより低いステータスを望むか?」というようなものである。

 人は一般的には高いステイタスを望む。しかし低いステイタスを望む人が現れている。

「悟り世代」ではなく、「撤退世代」というのが正確な言い方であろう。

 

 Active psychic living 積極的に超自然的(霊的)に暮らす の意味かな。幻想に逃げ込むといったところか。

 solution これは解決。

 Recoiling from competition 競争からの後退。

 加藤は「競争をして失敗しても」と競争を肯定しているが「負けても」とは書いていない。「負けた」だけではない、それを「どこを誤ったのか」というところまで考えを引きずっていき「失敗」の原因を探る。悟ってまた何かに挑戦するのだろう。「悟り」は「諦め」ではない。

「悟り世代」に言わせると、なぜ競争しなければならないの、「みんなちがって みんないい」ではいけないの、ということになるのかもしれない。「みんなちがって」というところが求められるのだろうが、どれほど「みんなちがって」いるのだろう。いつの時代でも「今の若者は」なのであるが、世代論として面白い。。

「つくし世代」という言い方もでているが、こちらの方は①自己拡張解決型かな。

 

 

2019年01月08日

残日録42 「かくとだにえやはいぶきの」

 私が小学校4年生のとき、近所の母の実家に遊びに行ったら、祖母が富谷のおばさんと話していた。祖母はこちらを向いて「なあ義人、かくとだにえやはいぶきのさしも草、さしもせんのに子ができるとは、という言葉があるがな」と言った。何となくわかったような気がしたが、富谷のおばさんが「子どもにそんなこと言うて」と言うものだから、何だかわかったような顔をしてはならないのだと思った。祖母が「なあ義人、マリアさんでも射さんで子ができるわけがない、そう思わんか」と続ける。当時、30歳前後だった叔父さんが何を思ったのか教会に通い出したことを話していたのだった。

 こういうバレ句のような世界に初めて出合ったのだった。

 祖母は言葉の豊かな人で、子ども時代はいろんなことを話してくれた。3月になると「彼岸の雀落とし」とよく言ったものだ。3月上旬は少し暖かくなるが、お彼岸の頃になるとまた寒くなる。すると、雀が驚いて枝から落ちる。というのだった。

 昔の人の語彙は豊かだったのか、祖母が長けていたのかわからないが、しゃれ言葉もよく使っていた。「風呂屋の息子でユウばかり」とか「材木屋の娘でキが多い」といった類だ。「女の褌、くい込むばかり」「鉄鎚の川流れで、頭が上がらん」といったところか。「そうは桑名の焼き蛤」を思い出した。

 テレビの寄席番組でバレ句や言葉遊びを覚えた、という記憶がある。日常とつながるところに豊かな言葉の世界があった。

 ことわざ、これなども今の子どもたちにとって身近なのだろうか。

2019年01月20日

残日録43 水島広子『トラウマの現実に向き合う』

 水島広子『対人関係療法でなおす双極性障害』を読了。身近に双極性障害(躁うつ病)がいるわけではないので、知識として知っておく段階ではある。

 同じ著者の『トラウマの現実と向き合う—―ジャッジメントを手放すということ』は、トラウマ治療者の姿勢について書かれた本であるが、こちらは接客の姿勢として学ぶところが多い本だった。

 

 多くの臨床家がトラウマ患者を傷つけないようにと配慮しているが、実際のところそれが単なる「腫れ物扱い」になってしまっているケースも少なくない。つまり、どうすることが傷つけることなのかが明確になっていないため、全体的に当たり障りのない対応をしてしまっているのである。しかし、単に腫れ物扱いすることによって患者に信頼されることはできないし、それどころか、「腫れ物扱い」されて傷ついたという人を私はたくさん知っている。そもそも、誰も「腫れ物扱い」sなどされたくないだろう。自分が「要注意人物」というレッテルを貼られて距離を置かれるような疎外感を覚えるからだ。こうして見ると、「腫れ物扱い」には、他人を傷つける要素があることがわかる。

 もともとは相手を傷つけないようにという動機で行われる「腫れ物扱い」が、なぜ相手を傷つけてしまうのか。

 そのキーワードになるのが、「ジャッジメント(評価)」だと思う。人を「腫れ物扱い」するとき、そこには、「この人は要注意人物だ」というジャッジメントがある。そのようなジャッジメントを下した結果として、普段だったら何気なくできている人間的な交流ができなくなり、それがジャッジメントされる側の「距離を置かれるような疎外感」につながる。

 ジャッジメントの定義は状況によってさまざまだと思うが、本書では、「ある人の主観に基づいて下される評価」ということにしたい。「この人はよい人だ」「この人は親切な人だ」「この人は要注意人物だというのはいずれもジャッジメントだし、「この状況はすばらしい」「この体験は悲惨だ」というのもジャッジメントである。ジャッジメントは、評価を下す人の個人的なバックグラウンド(パーソナリティ、成育歴、能力、価値観、当日の気分)などを反映するものである。人によってジャッジメントは異なるだろうし、同一人物でも、人生のどの時点で下されたものかによって、ジャッジメントは異なりうるだろう。

 ジャッジメントにはいろいろな面での問題があるが、ここでは特にその「暴力性」に注目しておきたい。ジャッジメントは常に暴力性をはらんでいる。どういうことかと言うと、ジャッジメントは本来「ある人の主観的体験」に」すぎないものだが、実際にはあたかも客観的事実のように宣告され、押しつけられるからである。ジャッジメントを下している本人は、「それは自分の主観的体験に過ぎない」という自覚をしておらず、あたかも相手側の問題であるかのように錯覚しているものだ。「あなたはかわいそうな人だ」と言うとき、言っている本人は、本当に相手がかわいそうな人だと思っている。

 ところがそこで下されているジャッジメントは、実際にはある人の主観的体験に過ぎないものなので、ジャッジされる側が一方的に引き受けなければならないところが、ジャッジメントの持つ暴力性だと言える。言葉は悪いが、一種の「言いがかり」なのである。(P6~8)

 

 「言いがかり」「決めつけ」について納得のいくところだ。接客のとき、相手の文脈にそって聞く、聞くに徹すして、判断しながら聞くことをしない、につながる。

 

 「ゆるし」というのは、トラウマ体験という「異物」の本当の消化なのではないかと私は考えている。「異物」を消化するための最初の試みはジャッジメントである。トラウマ体験者は、あらゆる方向から、相手に、自分に、体験そのものに、ジャッジメントを下す。「トラウマ体験をした自分」ももちろん「異物」として、ジャッジメントの対象となる。対人トラウマの場合、自分自身へのジャッジメントが最もい本質的であることが多い。

 しかしジャッジメントでは常に消化不良の状態を起こし、それがさまざまな苦しみにつながる。本人は、さらなるジャッジメントによってそれを消化しようとするが、ジャッジメントという手段ではいつまでたっても消化不良のままだし、苦しみは続く。

 「ゆるせば楽になるのではないか」と思うのは、そんな頃である。今のやり方には限界があって、別の消化の仕方があるのではないかと思うようになるのだ。それはどういうものっかというと、「消化しようとして頑張らなくても、大丈夫なのではないか」といものの見方である。

 これはトラウマ体験の否認とは違う。145頁でも述べたが、トラウマを「傷」として見るのではなく、「役割の変化」として見る、というフォーミュレーションである。トラウマ体験は確かにあった。しかし、自分がそこで決定的に傷ついたわけではなく、ただ乗り越えるのが大変だった、という見方である。

 これが、トラウマからの回復の本質である、「自分をゆるす」ということなのだと思う。トラウマ体験者は、「ゆるせない」と思うとき、自分の傷を再びえぐっている。トラウマに関連したネガティヴな感情と共によみがえる。つまり、ゆるさないでいることは、自分を傷つけることを繰り返し、「被害者」という立場に自分を縛り続け、自由を奪い続けることである。そして、「自分をゆるす」ということは、自分を傷つけることをやめ、被害者役から自分を解放することなのだと思う。(P175~176)

 

 「自分をゆるす」ってなかなかできないことだけれど、そういう私を認めてあげる、不足しがちな自己肯定感を満たしたいものである。

 職場の人間関係でイライラしてしまう人がいる。イライラしてしまう自分にいらいらしてしまう、となると大変くたびれる。イライラしても解決しない。イライラの原因が解決に向かえないのであれば、水分補給をしたり深呼吸をしたり、散歩、トイレの個室で気を静めたりして、イライラのエネルギーを省エネしたいものである。イライラする「自分をゆるす」のは難しいことなのだろうか。

 この本の書評を中井久夫が書いている。一部紹介する。

 

 認知症、担癌患者、難病患者の治療において、それぞれどのような現実に直面して、なおこの原則(「 治療者は病気の専門家であって人間の専門家ではない」—明定)を守れるかを考えてみることは、これら の患者が置かれている現状を大きく改善するきっかけになる。しかし、それはマゼラン海峡を通過する 操船者のような細心の注意と反省力が必要となるだろう。人の優位に立って人を支配することが医療者 になる隠れた最大の動機だからである。それが治療者の最大の、燃えつきの原因になっている。(みすず 2011年1.2月号より) 

2019年01月26日

残日録44 『増補 学び舎 中学歴史教科書 ともに学ぶ人間の歴史』

 春に5回コースで「続日本歴史入門」を開講するので、士農工商を教科書ではどう書かれているのかを知るためにこの本を購入した。

 2016年4月現在、全国38校5300名の中学生の手に届けることができたそうだが、国立中学校や一流私立中で採択されているそうだ。

 「面白い教科書だと思うが、採択は容易ではない」というのが会社(他の教科書会社―明定)の見方だ。

とその理由を二つ挙げている、一つは営業の態勢。もう一つは「教員の教えやすさ」とある。ここが興味深い。

 

 他の多くいの教科書は子どもの絵を使った吹き出しで「考えてみよう」「話し合ってみよう」と授業の流れを書き込んでいる。本に沿って教えれば、授業は成立しやすい。

 しかし「学び舎」の本は、教員が自由に授業できるようにと考え、そのような書き込みはしていない。

 文部省の関係者によると、検定の審議会の場でも「学び舎」本について、「これまでの教科書に慣れた教員が教えられるか」と懸念する意見が出た。「国立大の付属校の研究授業のような内容だ」と評する声もあったという。教材研究に熱心な一部の教員が教えるための教科書ではないか、という見方だ。

同書付録 P20

 

とある。


採択した灘中学校の和田孫博校長は「謂れのない圧力の中で――ある教科書の選定について――」のなかで、

 

 担当教員たちの話では、この教科書を編集したのは現役の教員やOBで、既存の教科書が高校受験を意識して要約に走りすぎたり重要語句を強調して覚えやすくしたりしているのに対し、歴史の基本である読んで考えることに主眼を置いた教科書、写真や絵画や地図などを見ることで疑問や親しみが持てる教科書を作ろうと新規参入したとのことであった。これからの教育のキーワードともなっている「アクティブ・ラーニング」は、学習者が主体的に問題を発見し、思考し、他の学習者と協働してより深い学習に達することを目指すものであるが、そういう意味ではこの教科書はまさにアクティブ・ラーニングに向いていると言えよう。逆に高校入試に向けた受験勉強には向いていないので、採択校のほとんどが、私立や国立の中高一貫校や大学附属の中学校であった。

 

としている。

 

 「学び舎」の本は歴史の場面を重視し、シーンのオムニバス方式で、子ども自身が歴史の流れを考えることを目指した。それはよいことなのか。「歴史の流れを明示しない教科書はわかりにくい」「子ど もには無理だ。やはり筋道を教え、歴史をとらえるわくぐみを与えるべきではないか」。検定発表後の取材では、そう指摘する何人もの教員に会った。

 上記 P21

 

 「続日本歴史入門」では仮説実験授業の歴史関係の授業書を使うのだが、これは授業書という構成をたどっていけば成り立つ。「学び舎」版はアクティヴ・ラーニングという「空中戦」を教えられる側に求めるのだから、私立や国立の中高一貫校や大学附属の中学校の生徒たちがクリエーティヴになるのは良い事であるが、公立中には別の手だてを考えるのか、授業実践例がたくさん出ることによって、アクティヴ・ラーニングがこなれていくのか、さてどうだろう。

 他の教科書も影響を受けて変わっていくのだろうか。未来は知識の量で比べられるのではなく、見破る論理、伝える論理、身体的文化資本、それに発明(工夫)・発見(発想)力によって評価されるのだが。 

 

2019年02月04日

残日録45 「ズレ」を広げてしまうコミュニケーション

 水島広子『対人関係療法でなおすうつ病』から

 

 自分が相手に何らかの役割を期待しているのと同じように、」相手も自分に何らかの役割を期待しているものです。相手が自分に何を期待しているかを本当に理解していることは案外少ないものです。同P92

 

 相手の期待を明らかにすることは最初のステップにすぎず、それに応じてどうするのかを決めるのはその次だということになります。ただ、絶対に言えることは、最初のステップがなければ、次もないということです。そういう意味では、相手が自分に何を期待しているのかは誤解がないように知っておく必要があります。

 

「ずれ」を広げてしまうコミュニケーション

 「役割期待のずれ」を埋めていく大きな手段がコミュニケーションです。どんな期待をしても、伝えなければ伝わりません。それぞれの期待を伝えるのもコミュニケーションです。し、その期待が相手にとってどれだけ妥当なものであるかを検証するのもコミュニケーションです。

 ところが、「役割をめぐる不一致」の状態にあるときは、むしろ「ずれ」を広げてえしまうコミュニケーションをしがちなのです。「ずれ」を広げるコミュニケーションを次に挙げてみます。

 

言葉を使わないコミュニケーション

 不満があるときに、自分の気持ちを言葉で伝えずに、ため息をついたりにらみつけたりする、というコミュニケーションをする人はすくなくありません。特にうつ病になると、相手に直接向き合うことを「申し訳ない」「怖い」「意味がない」などと感じるので、ますますその傾向は強まります。言葉を使わないコミュニケーションの問題は、メッセージが正確に伝わらないことです。ため息をつかれたりにらみつけられたりしても、相手は何が問題となっているのかすらわからないかもしれませんし、自分がどういう改善を求められているのかはまずわからないでしょう。それでは「ずれ」は埋まりません。言葉を使わないコミュニケーションに頼ってばかりでは、自分の意見が正確に伝わらず、誤解を招くこともありますし、こちらが言葉を使おうとしなければ「ずれ」に向き合って話し合うこともできません。なお、暴力や自傷行為も「言葉を使わないコミュニケーション」の一つです。

 

間接的なコミュニケーション

 言葉は使っていても、直接的な言い方をせずに、嫌味を言ったり、婉曲的な物言いをしたりしてしまうこともあります。言いにくいことを言う場合には、間接的な言い方をした方が「角がたたない」と感じる人はおおいものですし、うつ病になるとますますその傾向は強まります。でえも、言葉を使わないコミュニケーションと同じで、間接的な言い方では、誤解を招くこともありますし、「ずれ」にきちんと向き合うこともできません。直接的な言い方であっても相手を不愉快にっさせないコミュニケーションのしかたについては、106頁「けんかにならない話し方」で扱います。

 

自分の言いたいことはつたわっているという思い込み

 はっきりした言い方をしなくても、他人は自分の気持ちがわかっているはずだと思いこむパターンです。超能力者でもない限り、言わなければ伝わりません。このような考えでいると、「わかっているはずなのに、なんであんなことをするのだろう」などという不満がつのり、相手との「ずれ」は広がるばかりです。

 このパターンは、「言葉を言わないコミュニケーション」「間接的なコミュニケーション」とセットで問題になることが多いです。つまり曖昧なコミュニケーションしかしていないのに、相手はわかったはずだと思いこみ、改善されない相手の態度を見て絶望を深める、という具合です。

 

相手の言いたいことはわかっているという思い込み

 相手のメッセージが不明確なのに確認しない、というパターンです。相手に批判されたように感じたときに、それを確認しないで「私はあの人に嫌われている」と思いこんでいくようなケースです。相手はそんなつもりではなかったということもありますから、一方的な思い込みによって「ずれ」は広がっていきます。

 批判に聞こえる相手の言葉を確認してみることは、価値があります。実際に批判ではなかったということも多いですし、本当に批判だったとしても、曖昧な人格否定から、具体的な改善点へと焦点を絞っていくことができれば、、それだけで治療的です。

 

沈黙

 怒りや不快を表現せずに沈黙してしまうパターンです。相手に直接怒りをぶつけるよりも沈黙した方がまだましであると考えている人も多いと思いますが、沈黙というのはコミュニケーションの打ち切りであり、最も破壊的な対応であるともいえます。「沈黙は金なり」の精神を持つ日本では、特に要注意です。

同書P93~96

 

 うつ病でなくとも、日常的にありがちなコミュニケーションです。特にプライベートでの人間関係で発生します。職場の構成員の距離感が上手く取れなくて、または取らなくて、コミュニケーションがプライベート領域にまで入り込んでくると、感情的に追い詰められるということになります。そうならないために管理職は何をしなければならないのか、が問われることでしょう。

 

2019年02月10日