『昭和演劇大全集』渡辺保・高泉淳子(平凡社.2012)残日録211221

この本のなかに松竹新喜劇の『船場の子守歌』が出てくる。

船場の薬問屋祝い天心堂は、岩井長平が本家からの暖簾わけで一代で築いた店である。長男の平太郎に店をゆずり、長平が二年ほど四国で暮らしていた間に事件が起きていた。腕利きの社員吉田を、本家と類似した薬を販売した廉で店をクビにしたのだが、吉田は長平の孫娘・清子の恋人で二人は出奔してしまった。吉田は通販の仕事、清子は手内職で貸間暮らししながら、もう赤ちゃんも生まれていると聞かされるが平太郎は許そうとしない。そこへ長平が何も知らずに船場に帰ってくる。不始末を隠そうと七転八倒する平太郎一家。何かあると察した長平が、二人のつつましい貸間に一人で尋ねてくる。強情を張るばかりが生き方でないと清子を諭しているところへ、平太郎がやってくる。あわてて曾孫を抱いて物干し台に隠れる長平の障子超しに、平太郎は初孫に会いたいという。曾孫が泣き出し長平が先回りしていたこともわかり、一家はすべてを許しあい元の鞘におさまることになる。(P296)

こういう話です。

渡辺 僕は松竹新喜劇ならではの特色が二つあると思うんですよ。一つは、東京の人間にはそこがちょっと距離感があるとこなんだけど、教訓なんです。あの名作「桂春団治」(昭和二十七年)でも、牡蠣船のところ(後編二幕二場)で、女と金で窮地に立った春団治が、人に笑ってもらう芸だけでええ、と人生訓をいうわけだよね。新喜劇のレパートリーにはどの作品にもああいう人生の教訓があると思う。「船場の子守歌」でも、おじいちゃんが、親と子の絆を説き、可愛い孫への愛情を語って、孫娘を説得するところに人生訓がありますよね。それは偉い先生の人生哲学じゃなくて、町場で生きている普通の市民の人生訓なんです。それがすんなり観客の耳に入って、涙と笑いとに結びついてくるんです。もともと、江戸時代から大坂には富永仲基とか、石田梅岩みたいな町の学者が大勢いたし、懐徳堂みたいな学校もあったわけです。普通のお店の人たちが、そういう学校や、町の儒者のもとに通うのは、町民が商業都市の中で商業道徳上どう生きたらいいかと常に考えていたからだと思うのね。「船場の子守歌」でも、儲けりゃいいってもんじゃないと言っているでしょ。それは現代にも当てはまるじゃないですか。昭和の終わりまで新喜劇が言い残ってきたのは、大阪という町の歴史的背景と同時に、お客と同じ目線で生きてきた市井の人生訓があったからですよ。私はそれが松竹新喜劇の強みであり特色だと思います。(P298)

なるほど、と納得した。人生訓のところで、「そうや、そうや」と観客が拍手するのやった。

渡辺 喜劇はいろいろとあって、ギャグで作る喜劇とか、スラップスティックっていう無意味な喜劇とかいろいろありますよね。その中で関西の喜劇は口立てで面白くしていくシチュエーション喜劇だと思うのね。東京の喜劇は、アドリブではなくて、まず台本ありきなんだから、現場主義と台本主義の違いが、東京と関西の大きな違いだと思いますね。どっちも喜劇としては大事なんです。(P301)

朝ドラ「おちょやん」のモデルだった元新喜劇の役者の浪花千栄子もアドリブの美味い役者だった。芦屋小雁が「浪花千栄子とは舞台でもよくご一緒しました。勝手に演ってしまわはる人やから、有名な監督の映画に出たら大変やと思うわ。小津安二郎の『彼岸花』‘58でも、小津監督がとめてとめて、やっとここまで、という感じと違う?」(『シネマで夢を見てたいねん』P184)と書いている。

この本には、僕が追っかけをしていた太田省吾の劇も取り上げられている。取り上げられた「小町風伝」が初めての太田劇との出会いだった。

襤褸の十二単衣に身をつつんだ老婆が、ゆるい風に身を任せるように、橋掛かりをゆっくり登場する。独り住まいのアパートの一室で、老婆は若い頃の軍人との短い夫婦生活を回想する。朝のラジオ体操が聞こえる中で、大谷が十八年間に三言しかはなしたことのない老婆のしもの世話をしにやってくる。隣の家では父と娘、息子がいつものような朝の食卓を囲み、出勤する風景がくりひろげられる。老婆は再び回想のなかに入っていく。医者がやってきて老婆を診察するが、その不思議な生命力は解明できない。フォークダンスの音楽が流れ、町内は運動会が開かれているようだ。人々が去っていくと老婆が一人舞台に残され、風のありかをたずねるようにひとり去っていく。(P378)

高泉 わたしは先輩から、すごい舞台だから覚悟して、見に行ってご覧いわれて行ったんです(笑い)。最初の出にもうびっくりして、観客がいったいどうなっているのかしらと思った頃にようやく、これは老婆の夢の世界だということがわかってくる。舞台に登場人物が、戸とかいろんな道具を持って登場してくるでしょ。あそこがいいんですね。
渡辺 刺激的でしたよね。
高泉 そして、やっと現実のせりふになる。あれだけ長く音のない時間を過ごした後、声を聞くとほんとにホッとするんですね、劇場で言葉を聞くのは当たり前なんだけど、そのせりふは日常の会話なんですね。がらりと変わるあの手法がすごく印象に残っていますね。
渡辺 この芝居は、幻想の部分と現実の部分、沈黙のところと饒舌なところがうまく重なってよくできているんですね。老婆の幻想t現実の場面、アパートの隣の世界で起きる現実と、老婆の幻想だけで成立してる部分が一つの舞台の中でうまくつながっていきのは太田さんの功績ですね。(P382~383)
高泉 太田さんのほうは、一種のスローモーションですね。
渡辺 スローモーションでやってみると人生の現実、あるいは幻想の持っている虚偽性とか真実が明らかになる。現実を顕微鏡にかけて拡大して細かく見るというのが太田さんの演出なんですね。脳はゆっくりしているように見えるけど、実は、速いところは結構速い。俳優の身体としていえば、能役者は舞台の上で緊張してるから、長い時間は持たないんです。
高泉 あぁ、そうなんですか。太田さんの舞台では、時間のずれとか、その虚構感のズレとかがスローモーションで演じる役者の体で表現されていますね。
渡辺 「小町風伝」の冒頭は、なんで長いんだろうと、それは高泉さんだけじゃなく、観客はみな、私だって思いましたよ。だけどその時間をゆっくりと見ることで、観客は、太田省吾にその世界の一部を開かされたわけだよね。だから、脳と転形劇場はゆっくりしているようだけど、「小町風伝」で佐藤さんが演じている老婆と、能役者の演じる、たとえば、「関町小町」なり「卒塔婆小町」の小野とは、対照的に違うんですよね。(P381~382)

記憶では「地の駅」だったと思うが、大谷石地下採掘場跡で初演した時、セリフのない沈黙劇の緊張に耐えられなくなった観客が、煎餅を音を立てて食べ出したことがあって、近くの人が「静かにしなさい」か「静かにさせなさい」とか言ってざわついたことがあった。その後「クックック」と引いた笑い声がした。こんな不便なところに誘った連中も連中だなあと思った。

2021年12月21日