渡辺保『続々・歌舞伎日録 2018年から2021年まで』  残日録230511

『歌舞伎日録2009年~2013』『続・歌舞伎日録2013年7月~2017年12月』は個人出版となっていて、都心から遠方のものには入手困難だし、部数もそう多くはなかったようである。『続々』がアマゾンで取り扱われているので、『正』『続』のほうもそうなってほしい。昭和27年からの「観劇ノート集成」がオンデマンドでアマゾンから現在7巻まで出ているので、早晩、出版されるに違いない、と思う。
2005年『批評という鏡』(マガジンハウス)のあとがきに、

 インターネットで劇評を書くようになって、私はそれまでとは違う自立の感覚を持った。そのいきさつは以下の通り。
 朝日新聞、「ちくま」、「中央公論」とおよそ十余年、歌舞伎の劇評を毎月書きついで来た一九九九年、中央公論が読売新聞社に吸収合併されるに及んで、私医は劇評の発表の場を失った。どこか探せばないこともなかっただろうが、この際、私は新しい方法に挑戦したいと思った。
 私がそう思った理由は、それまで私自身が巨大なメディアの庇護のもとで劇評を書いていたことを自覚したからである。私は自分の感じたことをできるだけ正確に書こうとしてきたから、当然私の意見に反対の人も出る。ことに批判された役者の反撥は大きかった。私の知っている限りでも、波状的に、執拗に、私の排斥をメディアに訴えつづけた人もいる。そういう時、当然のことながらメディア―――なかでも担当編集者は私を守ってくれる。おそらく私自身が知っている事実は、担当者の防いでくれた事実の何十分の一にすぎないだろう。そのことに甘えてきた。批評を書く人間には許されぬ甘えである。自分一人で全責任を負って、書き続けることは出来ないだろうか。
 そこでインターネットのホームページに書くことを思い立ったのである。さいわい大学の教え子の一人がホームページをつくってくれて、二〇〇〇年正月からインターネットで劇評を毎月書くことになった。
(略)
 錯綜する苦悩のなかで、結局無料にしてはじめたインターネットは、まもなく月平均七千五百回のクリック数に達した。五年間でおよそ四十五万回。むろん一日何万のクリックされている人気作家やタレントのそれには遠く及ばないが、それでも歌舞伎の劇評にこれだけの人がクリックしてくれることに、私は強い喜びを感じた。(P457~8)

 とある。
 渡辺保氏の劇評は毎月読んでいる。他の専門家の劇評も読み、歌舞伎好きのブログの劇評も読む。
 30歳代の千葉にいた頃は歌舞伎座によく通ったが、座組(ここでは出演者や演目の構成)が不満だったりしたらパスすることもあった。40~50歳代は仕事に追われ、正月の松竹座の歌舞伎は欠かさず観ていたときもあったが、だんだん縁遠くなった。
 20歳代までは加古川にいたので歌舞伎はもっぱらTV中継だった。
 1983年の夏、成田市役所の就職試験か面接で東京による機会があり、南博氏の主催していた伝統芸術の会を覗いてみた。一三代目仁左衛門がゲストだった。芸談に堪能した。一世一代の「廓文章」(吉田屋)をNHK古典芸能鑑賞会で演じるということをそこで聞き、84年の2月に見た。
 それが実際に初めて見た歌舞伎だった。
 その頃の仁左衛門についての劇評は『観劇ノート集成 第八巻』出版を待つことになるのだろう。
 その後は藤十郎の「近松座」を観たり、歌舞伎座に通ったりした。
 渡辺保氏は「二代目吉右衛門」が贔屓であった。読売新聞に追悼文を買いている。
 「二代目中村吉右衛門は、歌舞伎の長い歴史のなかでも、近代から現代への時代の変わり目で、かけがえのない役割を果たした俳優であった。というのは、彼はそれまでの享楽的、趣味的な歌舞伎を、真の現代の古典劇として我々の財産にしたからである。」とあり、「一条大蔵卿」「熊谷陣屋」「新薄雪物語」を挙げている。
「むろん吉右衛門にはこのほかにも多くの当たり芸あった。しかしそのいずれにおいても私たちは、古典的な芸の輪郭と同時に現代的な人間の感動を見た。もしこの人がいなければ歌舞伎はこういう人間的なドラマにはならなかっただろう。そのことを思えば、今この人を送るのは、掌中の玉を失う如く、悲しみにたえない。」
渡辺保氏に個人的な好みはあったかもしれないが、氏の劇評はそれに左右されるものではない、と読むものとして思う。吉右衛門の悪い時には指摘している。
私は、吉右衛門の「河内山」での上州屋の場での「出」が鼻についたことがあった。
「当然私の意見に反対の人も出る。ことに批判された役者の反撥は大きかった。私の知っている限りでも、波状的に、執拗に、私の排斥をメディアに訴えつづけた人もいる。」というところが面白い。いったい誰であったのか。
劇評の読者としての私は、好きな役者が高く評価されると、すこぶる嬉しい。その月は何度もクリックをする。しばらくすると、バックナンバーは消えてしまい、寂しい気がする。
こうして一冊にまとめられると、そこのところを繰り返し読めることになるのだが、手にしてしまうとそういうことは少ない。
2018年2月歌舞伎座「高麗屋襲名二ヶ月目」昼の部「大蔵卿」。

この一幕の傑作は、秀太郎初の鳴瀬である。桧垣でのこの人の行き届いた芝居には終始感心した。いかにも知恵の足りない主人を持った女そのもの。知恵が足りないことを十分承知して、しかも主人として敬愛しながら、周囲に気を使って庇っているよさ。それでいて大事なところはキッチリ取り仕切る賢さ。私は今までも聞いていたせりふながら、今度はじめてなぜお京を召し抱えるのが道端でならなければならないのかを知った。むろん大蔵卿は一条家の当主、女狂言師の一人や二人召し抱えられないことはない。しかしそれには宮廷への届けがいる。正式にするとそこがうるさい。痛くない腹を探られる。そこで往還でつい拾ったということにするのが彼女の知恵なのである。
奥殿で落ち入るところもおどろいた。手負いの勘解由の背中に手を掛けて死ぬのである。その左手の手先に悪人ながらも夫を愛している女の哀れさが出ている。(『続々』P24)

2023年05月11日