映画「ゴジラ」——演劇評論家 上村以和於公式サイト 随談第640回から 残日録 210425 

上村氏は1940年生まれの山村女子短期大学教授で歌舞伎評論家。劇評は日経新聞に書かれている。ブログでは随談だから歌舞伎以外のことも書かれていて、私が楽しみにしているブログの一つ。毎月の渡辺保氏の劇評もまだかまだかと首を長くして待っているのだが、上村氏の方はご多忙のようで、このところ毎月とはいかないこともある。(両氏が3月の仁左衛門の『熊谷陣屋』をほめているので、贔屓としては楽しい。)
もっとも、歌舞伎を観る機会はめったになく、小生も忙しいことこの上ないのだが、これも加齢のせいですることが遅くなっているからだろう。3月下旬からの400字×60枚の原稿が漸くまとまりがついた。内容はもちろんあるのだが、そのための引用が多くて、量だけが目立つ。脇道にそれたが、「ゴジラ」のところを紹介する

先日、日本映画チャンネルで久しぶりに『ゴジラ』を見た。もちろん、1954年制作の元祖ゴジラである。いま改めて見ると、随分真面目に作った作であったことが今更のように思われる。言い尽くされていることながら、この年の春にあったビキニ環礁の水爆実験と第五福竜丸の事件が、仮に際物として作るにせよ、生半可なことでお茶を濁しリアリティをもって見せられなければ、際物としても支持を得られなかったであろう。ゴジラが遂に東京湾から上陸してきて、元の日劇や何かがぺしゃんこにされてしまい、実況中継のアナウンサーの身にも危険が迫り、「皆さん、さようなら」と悲壮な声で叫ぶ中、逃げ道を失って子供を二人抱えた中年の母親が「お父さまのところへ行きましょうね」と言い聞かせているのは、戦地で亡くなり天国にいる夫のことであろう。いま見ると驚くべきリアリティをもって刺さってくる。

とある。小生もTVで見たような記憶があるが、驚くべきリアリティ、に共感する。ウルトラQや初期のウルトラマンにも戦後が色濃くあった。
 上村氏の「随想」風に話を飛ばすと、『キューポラのある町』も戦後をえがいている。最後の方に北朝鮮への「帰還事業」で北朝鮮に帰る朝鮮人一家が出てくる。私の生まれ育った部落(どこの村のことも当時は部落と呼んでいた)にも、朝鮮の人たちがいた。その人たちは帰国をした。後年、一人だけ残っていた人がいて、その人は広島で被爆していて、被爆手帳を持っているので残ったと言っていた。帰ってしばらくは「消しゴムを送ってくれ」などと手紙が来たが、数年後には音沙汰なしになった、と話していた。

2021年04月25日