「翻訳によるすり替え」について―原秀成『日本国憲法制定の系譜1~3』(日本評論社.2004~2006)から 残日録240611

朝ドラの「虎に翼」が戦後の憲法成立以降の時代に入っている。安倍晋三氏が銃撃で亡くならなかったら、こんなドラマを許すまいに、と思う内容のドラマを見ている。これを野放しにしている岸田首相は宏池会の系譜にかろうじて引っかかっているのだろうか。
 『大阪の社会史』に差別問題に取り組んだ元教員への聞き書きがあり、どうしてそんな人生を歩んだのかと聞かれ、「……ううん、やっぱり、私の年齢で言うたら日本国憲法ができて、身体の中に入り込んでるわな。人格をきちんと認めて、人権保障もして、すべての人は、平等に扱われるべきやっていうな。」(P198)と答えていた。朝ドラでそういう気分を追体験できればいいなあと思う。

原秀成『日本国憲法制定の系譜1~3』は著者が図書館情報学の研究者ということもあって、どう評価されているのかよくわからない。

この著書は「植原悦二郎」という政治学者・政治家の研究に道を拓いたといってよいようです。ネットで検索したら、明治大学教育会長、田中徹太郎「会長挨拶」が出てきて、植原について「原秀成の研究を始発とし、法学、政治学、情報学、ジャーナリストなどの専門家による検証が続けられています」とある。
「翻訳によるすり替え」について原はこの本でふれている。

原秀成『日本国憲法制定の系譜1』より

(1.1.2.4) 用語・呼称の英語との相違――翻訳によるすり替え
「日本国憲法」の制定について、国家や特定の集団の政治的な思惑が強く働き、日々《神話》が形成される。とくに2ヵ国語にわたることから、翻訳による《ごまかし》や《すり替え》が多い。同じ語が反対の意味に訳され、《系譜》は寸断され、変質させられる。本叢書で中心となる重要な語について、注意を喚起しておこう。
 まず「日本国憲法」という語が、問題である。1946年11月3日(日曜日)の公布の時点で、「日本国」なる国家が存在していたのか疑わしい。占領下の日本は、完全な主権をもつ国家ではない。1951年9月の日本国との平和条約で、ソヴィエト連邦などを除く連合国が「日本国」を「主権を有する対等のもの」として承認する(同条約前文)。1952年4月にこの条約が発行し、「日本国」は主権を回復する。英語では、この問題がうまく隠されている。「The Constitution of Japan」とされ、「Japan」が国家なのか、地域としての「にほん」を指すのかがあいまいのままとされているからである。1946年時点で、「日本国」とは、いわば《自称》にすぎなかったのである。
 「憲法」という語は、冒頭で述べたように、英語と大きく意味が異なる。それは、単に「大日本帝国憲法」の用字を踏襲しただけなのである。「憲法」という、いかめしい文字によって、匿名の「国家」運営集団が「法」を独占する。表題自体を《立ち上げのきまり》などと改正すべきなのである。
 改正の主体についての語とその翻訳が、さらに問題である。米国人は《日本の人々(The Japanese people)》と《日本人(the Japanese)》とを、かなり厳密に区別している。前者の「the Japanese」が、自分たちの意思を表明し、憲法を立法化していく主体と想定されている。これを「人民」「民衆」とすると、一定の政治的意味が付与されてしまうので、本叢書では「people」を《人々》とし、他の「persons」などは《人たち、人間たち》とする。日本国憲法では、この「people」が「国民」と翻訳され、日本に住む外国籍の人が、国籍がないとして「国民」から除外されている(日本国憲法第10)。これにたいし、後者の「the Japanese」は、事実としての日本人をさし、むしろ否定的な文脈で用いられることが多い。
 米国の立案者は《日本政府(the Japanese Government)》を、改革すべき対象として、さらに厳格に区別する。米国が改革を《押しつける(impose on)》べき対象は《日本政府》であって、《日本の人々》ではない。両者を分けず「日本」に憲法が「押しつけられた」とする言説は、まったくの欺瞞なのである。《日本政府》に押しつけなければ、《日本の人々》は自由に意思を表明できなかった。それでもその日本政府にたいしてすら、米国は強制を抑制する政策を採ったのである。一般名詞として小文字で記された《日本の政府(Japanese government)》は、現存の政府を前提とせず、革命の発生をも米国は容認している。
 《皇帝(the Emperor)》は大日本帝国憲法の用法を受けて「天皇」とされている。英和辞典に「天皇」という訳語はない。ロシアの皇帝や、ローマ帝国の皇帝と区別し、直接言及すべきでないという「神聖不可侵」さが、「天皇」の用語のなかに染みついている。直接言及しないというのは、中国の律令における「避諱」の法文化である。日常語やジャーナリズムでは「陛下」とだけいい、それは「階」つまり宮殿の階段の下で、伝言をとりつぐ使者を指す。学問である以上、本叢書では《普遍的》な用語を用い、議論の対象とする。「天皇」は大日本帝国憲法および日本国憲法の条文にあり、やむをえない場合についてのみ用いる。同様に「institution of emperor」には《皇帝制度》の語を用い、「天皇制」という日本語を用いない。《君主制(monarchy)》《元首(head of state)》との区別にも注意する。
 「democracy」は《人々による支配》という原義に近く「民主政」と訳す。「民主主義」の語は、英語にないので用いない。《人権(human rights)》は、1940年ころには、多く《人間の権利(rights of man)》とされており、両者を訳し分ける。《市民権(civil rights)》《権利章典(Bill of Rights)》は英米法の概念で、これもそれぞれ訳し分ける。日本にあまりなじみがなく、そのことが問題の一つでもある。(p17-19)

(1.1.2.5) 連合国・同盟国・国際連合――大本営発表を継承する公定訳
 さらに問題が多いのは、「連合国」という訳語である。当時の公定訳における多くの欺瞞を含む訳語が、学問においても無批判に用いられてきている。
 まず「連合国」と「同盟国」が、混用されている。第2次世界大戦終結後において「連合国(United Nations)」と《同盟国(the Allied Powers)》は、厳格に使い分けられえいる。日本に対する《同盟国》とは、1945年9月2日[日曜日]調印の降伏文書第1項で、米国、中国、英国とソヴィエト連邦の「4ヵ国(four powers)」と定義されている(後述§1.6.5.1参照)。降伏文書第6項で、《同盟国最高司令官(SCAP;Supreme Commander for the Allied Powers》が最高権限をもつとされた。これが、公定訳で「連合国」「連合国司令長官」とされ、普及してしまった(資料1-35参照)。しかしこれは誤解を招くばかりか、占領下の統治の主体をごまかし、詐欺的でさえある。マッカーサー(Douglas MacArthur, 1880.1.26-1964.4.5)は、その4ヵ国の《同盟国》のための、初代「最高司令官」として任命されたのである。
 これにたいし「連合国」は、元来、1942年1月1日[木曜日]の連合国共同宣言に加入した26ヵ国を指していた(資料1-8参照)。この宣言への署名国が、のち1945年6月の「国際連合(the United Nations)」の創設時に「原加盟国」の地位を与えられた(国際連合憲章第3条、資料1-30参照)。本叢書では「the Allied Powers」を《同盟国》とし、《連合国(United Nations)》とは峻別する。(以下略 p19-20)

 原は

このように、公定訳や従来の学会においては、戦時中あるいは戦後における訳語が、無批判あるいは無意識のうちに用いられて来ている。それは敗色が強くなってきても、正面から認めようとしない軍部の「大本営発表」の用語法を引きつぐものである。軍国主義者の宣伝運動(propaganda)における用語が、50年以上も無批判に用いられてきているのである。これに戦勝国側の政治的修辞が、加わる。訳語や呼称を、根本から替えていかなくては、《官》や戦勝国による歴史記述の模倣を脱することはできない。「くにづくり」の神話を、徹底的に解体していかなくてはならないのである。(p21)

と書いている。
植原悦二郎がロンドン大学在学中に書いた博士論文が、英文で『日本の政治発展 1296-1909』として出版された(1910)。
原によると「この書物は日本では忘却され、あるいは無視されてきている。しかし英語世界で、それは大日本帝国憲法の基本書とされ、植原はこの書物によって、英米の著名人から広く知られていた。それだけでなくこの書物が、日本国憲法の立案にまでも影響を与えたのである。」(p56)とのことである。

2024年06月11日