『随筆 黒い手帖』松本清張(中央公論社.1961)残日録220920

無理をして腰痛になってしまい、気がついたらもう9月も半ばを過ぎている。
10月下旬の締切の雑文をかかえているが、もっぱら読書三昧の日々である。小説は、西加奈子『夜が明ける』、凪良ゆう『わたしの美しい庭』を読んだ。それから石井光太の著書を数冊。ほかあれこれ。
松本清張の上記本から、短い抜粋をしてブログの空白を埋めておくことにする。

私は東京に出てから母を失ったが、このときの区役所の手続きがたいへん簡略であるのに愕いた。一体、役所仕事というものはたいそう面倒なものだが、埋葬許可書を貰う段になると、いとも簡単に手続きが済む。すなわち、医者から死亡診断書を書いてもらい、これを区役所の窓口に届けると、すぐ埋葬許可書がもらえる。この間、係員は死亡診断書を発行した医者に問い合わせるでもない。このことに疑問を持って、多くのお医者さんに訊いてみたが、区役所の窓口から一度も自分の発行した死亡診断書に対しての問い合わせはないという変事だった。
 こうなると、医者の名前を騙り、いや、実在の医者でなくとも、いい加減な名前で医師と偽って死亡診断書を書いても、区役所には分からないのではないかと思った。変死体となるとえらく面倒なのに、病死となるとたいそう簡単なことで済んでしまう。この疑問からヒントを思いつき、『わるいやつら』に書いてみた。考え方によっては、これほど完全な犯罪はないと思う。死体を隠す工作もいらないし、アリバイの苦労もなく、また警察から追われることもない。完全犯罪といえば、これ以上のものはなさそうである。
 これは、区役所の窓口もわれわれと同様に、医師という職業に対して絶大な信頼を寄せて
いるからだと思う。しかし、或る意味で、今日ほど人間相互間に不信を持たれているときはないのに、ここでは一つの盲点を作っているように思われる。(中公文庫版p113~4)

「松川事件判決の瞬間」から

 門田判決は、「証拠不十分」というような消極的な無罪論ではなく、被告の無実の罪を諸証拠によって説教的に明らかにした「完全無罪論」である。裁判長の判決理由の用紙を見ると、随所に捜査当局のアナや検察側論告のミスを衝いている。また、弁護人側に対しては、検察側が出した証拠能力の検討が足りない点をたしなめている。
 たとえば、赤間、本田、高橋の三人が線路破壊を終えての帰りがけに、森永橋というところで休憩した、と検事は主張する。その証拠として、折から通りかかった肥料汲みの車をひいていく農夫が三人の姿を見たと言うのだ。これは午前三時十分ごろで、証人は年齢、服装まで言っている。しかし、今度の差戻し公判で、彼が目撃した夜と同じ月齢で実験したところ、年齢、服装、明確な人数を識別することが不可能であることがわかった。ところが検察側でも検証したが、このときは八月十七日ではなく、七月八日の同時刻であった。このことについて、門田裁判長は、七月八日と八月十七日とでは、同じ日の出時刻前でも明暗度が違うと言い、
「その明暗度は、日の出前の時間が同じであっても、一か月ちがった七月と八月では相当に異なるのである。弁護人は、検察官のこの主張の非科学性をなんら聞こうとはせずに黙過しているのは、あまりにも寛容にすぎる」
と弁護人側の怠慢を衝いているごときである。五十人異常の弁護人は、裁判長から鋭く指摘されると、いずれもうれしいような苦笑いを泛べていた。検察側は無表情にただ朗読に耳を傾けていた。(同p174~5)

 興味深く読んだ。

2022年09月20日