『世界史の分岐点』橋爪大三郎・佐藤優.SB新書.2022 残日録220321

丸亀製麺に行くと、思うことがある。丸亀製麺の製造工程は機械化・マニュアル化できている部分はあるが、それはまだまだ「技能」の段階から少し進歩したというあたりでしかない。
「手づくり」が評価されて、「機械化」が否定されることがあるけれど、それはまだ「機械化」が「手作り」に敵わない段階であるということであって、機械化を否定することにはならない。「機械化」することで、その製造過程で人の苦痛が低減されるほうがいいに決まっている。進歩しなければいけない課題の「発見」とそれを克服する「発明」が丸亀製麺にも期待されるのだ。
ことは一企業の課題ではないだろう。キンレイの冷凍うどんの課題とも通じることだ。
名人や熟練工の手練手管の経験を技術化する、というとこから応用科学が生まれる。標準化、というのは労働過程の質の向上につながるのが本来の姿だろう。
「原子力発電」という技術も、限りある化石燃料の枯渇と地球温暖化を抑える技術としては悪くないのだが、現実の社会にその技術を適用しようとすると、安全性や社会的費用の面や廃棄物で課題が山積している。それらの課題を克服する科学技術の進展に期待するしかないのだろう。一足飛びに反原発、ということにはならないのだ。
橋爪と佐藤のこの本では「核融合発電こそ未来である」という立場である。(P92~)

橋爪 核融合発電は、簡単に言えば、原子核のエネルギー(核力)を、原子核を融合させて、取り出して、発電することです。
 分子量の大きな原子は、分裂すると核力を放出します。人間に有害な、放射性物質も生まれます。これに対して、分子量の小さな原子は、融合すると核力を放出します。放射性物質は出ません。太陽は、水素がヘリウムに核融合して、燃えています。
 核融合発電の場合は、重水素をヘリウムに融合させます。重水素は、原子核と陽子と中性子。原子核が陽子2個と中性子の三重水素(トリウム)も用います。これが融合してヘリウムになると、高エネルギーの中性子が出てくる。その中性子をキャッチして、熱に変換します。で、発電ができる。ヘリウムは無害です。中性子は、キャッチすれば無害です。熱になるほかに、三重水素も生産されるので、発電しながら核融合の原料がつくれます。
 さて、核融合炉はいつ実用化するのか。原理がわかっているだけで、いまは炉の基本設計ができかけた段階です。重水素や三重水素を加速して、高エネルギー状態(1億度)のプラズマにします。このプラズマを閉じ込めると、核融合反応が安定的に起こると予想されます。その装置は、トカマク型といって、電磁石のドーナツみたいです。
佐藤 これは昔、ソ連でやっていたものと似ています。
橋爪 あれを改良したものです。
 トカマク型は、直径が数十メートルで、超電導磁石を極低温に冷やして、強い磁場をかける。この中のプラズマを安定的にぐるぐる回らせるのがむずかしいのです。
 核融合反応が起きると、中性子が飛び出します。その中性子を、ドーナツを腹巻むたいにプランケットというもので覆っておいて、キャッチするんですね。熱が出て、ヘリウムと三重水素が生成される。
 さて、あと何年でこの技術が実用化するのか。諸説あります。数十年、遅くても今世紀中でしょう。
 核融合炉とは、簡単に言うと、「エネルギーが装置で生産できる」ということです。ふつうエネルギーは生産できないので、エネルギー資源を燃やしていたりしていたのが、装置産業になる。産業全体、経済全体が、エネルギーの成約から事由になるのです。しかも、炭酸ガスが出ない。環境への負荷もほとんどない。これがどんなに画期的な意味をもつか、わかりますね。他のエネルギー技術とは話が違うのです。
 核融合にも、少しの材料は必要です。三重水素は核融合炉の副産物として出てくるから問題ない。重水素は海水中にあって、ほぼ無尽蔵です。ということで、石炭や石油のようねエネルギー資源に依存する時代は終わるのです。
 電力価格ほどのレベルに落ち着くか。石炭石油や、再生可能エネルギーによる電力よりも、安くなる可能性が高い。人類はやがて、この核融合発電による電力を使う社会に移行していく、と私は思います。これが二一世紀後半に起こる。世界史の分岐点ですね。
佐藤 私もまったく同じ認識です。ただ問題は、やはり先ほども言った政治コストなんですよ。
 この対談に先駆けて私も核融合について少し勉強し、いろいろな人に話題を振ってみました。
 電力会社の人などに聞いても、核融合技術の実用性はもちろん認めているのだけれど、政治コストが壁だといいますね。核に対する形而上学的な抵抗感。こえあは、理屈を分かっているほうからすると迷信に過ぎませんが、迷信で合うがゆえに根強いんです。これを迷信以上の建設的な議論にもっていくには、ある意味、力業で押し切っていくしかないと想いまます。要は政治家が思考停止をせずに政治をする。つまり政治的に立ち回って実現させていく気があるのかという問題です。

 このあとも続くのだが、佐藤は、

一九世紀のロマン主義でもなく、二十世紀ポストモダン以降の価値相対主義でもなく、一八世紀の啓蒙的理性の力をクッ検させ、信頼していこう」

と述べている。
 この本は「経済」『科学』『技術』『軍事』『文明』をテーマに語り合っている。

2022年03月21日