大塚茂樹『「日本左翼史」に挑む 私の共産党論』2323.あけび書房 残日録230922
入院していたとき、病院内のコンビニに「通販生活」(2023盛夏号)が並んでいたので、買ってみた。この本が本の紹介欄にあったので、取り寄せて読んでみた。
評者は助田好人。ウェブマガジン「マガジン9」の関係者のようだ。
以下、書評の引用。
膨大な資料から、日本共産党の再生への道筋を探る。
池上彰と佐藤優という稀代の論客による「真説」「激動」「漂流」の冠がついた『日本左翼史』3作に、戦前・戦後の日本における左翼運動の研究を続けてきた著者が向き合う体で書かれた意欲作である。博覧強記で知られる池上、佐藤の両氏だが、ときに「知略」に満ちた問いかけに著者は違和感を抱き、その正体を明らかにするため、膨大な資料をひもとく。そして加藤周一、立花隆、小熊英二ら様々な世代の言葉を引用し、戦前・戦後初期の活動家への聞き取りや、そこで得た肌感覚をもって丁寧に批評していく。
その粘り強い筆致で著者はどこに向かおうとしているのか。
折しも本書が刊行される前、日本共産党に党首公選制を求めてきた松竹伸幸氏の除名が報じられた。「伸びやかな組織となって、後半な人びとの好感度を高めなければ世代継承も実現できない」と書く著者は「松竹氏を凌駕する党改革こそが求められている」という。左翼の可能性を考察する本書が目指す場所はそこにあるのかもしれない。
評者の「そこにあるのかもしれない」という結び方は、この著者が何を日本共産党に求めているのかが不明瞭である、ということの証左ではあるまいか、と受け取った。
池上、佐藤の両氏が労農派的な立場から「左翼史」を語っていること、著名な研究者、政治家、活動家など党派とその指導的理論者を基軸にしていて、新左翼の内ゲバを左翼衰退への要因としていること、左翼運動を支えた無名の人々への論及がないこと、などへの違和感を著者は持っている。
その違和感を契機にして本著は書かれている。著者には身近に日本共産党の活動や、その支持者の営為があり、その立ち位置から「日本左翼史」に挑んでいる。そこのところがこの本を特徴づけている。有田芳生が圧巻とする「日本共産党の深部を描く」の章は、他に類のないもののようである。
私は政治的な活動には消極的だが、「政治」のことに関心がないわけではない。社会科学的に見れば、山川均の労農派の流れとグラムシの「構造改良」派の流れに影響を受けており、哲学思想的には三浦つとむ⇒板倉聖宣の流れにある、と思っている。
講座派の論理は、日本におけるマルクス―ウェーバー論から学ぶところがあった。マルクス主義については、マルクス―エンゲルス―レーニンの流れには関心がなかった。
だから、「左翼」という枠に入るのかどうかは、私自身はよくわからない。