雑録 母の近況など② 残日録220330
先日、27日(日)の深夜、従兄妹から電話で、母が緊急入院したとの連絡が入った。
翌日、行ってみると、肋骨の骨折のせいで、肺に水が溜まっている、とのことであった。ご近所のご意見もあり、退院後は施設に入ってもらうことに、弟と相談して決めた。本人の意向でもある。
入院のことや施設への入所については、弟にお任せということにした。こういう実務的なことは私より得意である。なにせ、従業員150余人の会社の役職付き総務課長だから、父の葬儀のときも任せた。相続も仕切ってもらった。印鑑証明を○枚、用意して、と言われただけだった。
こうなると、実家の世話は私の担当となる。加古川と長浜を行き来して、加古川の実家にある不用品を捨てることから始めなくてはならない。まずは紙袋だろうか。大きなゴミ袋でも収まりきれない量がある。次は使わない食器類だろう。その次は父の衣服だろうか。
ゆくゆくは、書庫にしていた物置を壊して、車庫スペースをつくることになる。書庫の整理もすすめなくてはならない。本の多くは長浜に運んだが、耽美雑誌「ジュネ」の初期のものや、鶴屋八幡の「あまカラ」数十冊(古書店で1冊800円)などもまだ発掘できていない。
慌ただしい日々が続くことになるのだろう。
コロナ禍の前は井上靖『星と祭』の復刊に取り組んだ。その次は「エコノミックガーデニング」(地域経済振興)に関わろうかと考えていたが、その余裕はないようだ。今年で70歳を迎えるのだから、残日の録は私的な細々としたことになっていくのだろう。
このところ、山田稔の本を読んでいるのだが、いい文章だ。品格が文章となって現れるので、読んでいて気持ちがいい。
「やさしい声」(山田稔『生命の酒樽』所収)に、谷原幸子「つりがねにんじん」が出てくる。
「島秋人が死んで、もう七年余りの年月が過ぎてしまった。私は、その死を昭和四十二年二十六日の毎日新聞歌壇の窪田章一郎氏の『歌人・島秋人』という文章で知った。三十三歳の刑死である。」
「つりがねめいじん」はこのような文章で始まっている。(P144)
歌集『遺愛集』などは、長浜市立図書館も所蔵している。
ひと日着て残る体温いとしみつ 青さ薄れし囚衣たたみぬ
握手さえはばむ金網(あみ)目に師が妻の 手のひら添へばわれも押し添う
土ちかき部屋に移され処刑待つ ひととき温きいのち愛しむ(処刑直前の辞世の歌)
作者の谷原は、死刑囚歌人のまわりにいた何人もの人の中から、彼と文通し、花を持ってしばしば面会に行っていた若い女性、前坂和子に関心を持つ。
「つりがねにんじん」は前坂を巡っての小説である。
処刑の前夜、つりがねにんじんと桔梗の花束をもって面会に訪れたか前坂和子は、島秋人とはじめて金網を除いた対面をしたのだった。
差し入れのつりがねにんじん雨の日に 濡れ来て終日(ひとひ)よく匂ひたり
十一月二十六日の「毎日歌壇」にのった最後の特選歌を、島秋人はわが目で読むことはなかった。
「私は、『遺愛集』の紹介記事に前坂さんが当時勤務していた高校の名があったのを思い出し、そこへ彼女の現住所を問い合わせようと考えた。私の中の前坂さんは、今どの辺りを歩いているのか。私は、掌の上の精霊をふっと吹いた。(土ちかき所へ帰れ)気がつくと、床の上に、いくつも、はかない透きとおった精霊が落ちていた。テーブルの上にも、ソファの上にも落ちていた。」
小説『つりがねにんじん』はこのように終わっている。(P150)
島秋人は記憶にないが、朝日歌壇に投稿したアメリカ在住の死刑囚、郷隼人や浅間山荘事件の坂口弘の歌集も図書館に所蔵されている。郷隼人の歌はその掲載を楽しみにしていた記憶がある。