残日録103 「戦争あったから。じいさんも大変だったんだよ、なあ」

 少年たちは生きる屍のような老人が死ぬ瞬間が見たくて、町はずれに住む老人を観察する。夏休みに入ると老人と話すようになり、ゴミ出しや草むしりを手伝うほど親しくなる。
 少年たちは老人から戦争の話を聞く。「戦争って、どんなものだか知りたいよ」

 それは、ほんとうにこわい話だった。
 おじいさんの部隊は、前線の基地を撤退してジャングルの中をさまよっていた。つまり逃げていたのだ。ぜんぶで二十五人いた小隊は、」やがてひとり減りふたり減りして十八人になっていた。暑さと飢えと渇きで、死んでしまうのか、病気になって置き去りにされてしまったのだ。時々そんなふうに置き去りにされた、ほかの部隊の兵隊に出会うこともあった。まだ息があるというのに、目や口にうじがわいてうごめいている。でもだれも助けようとはしなかった。どのみち死ぬのだ。苦い汁の出る草を口の中でかんで、空腹をまぎらわそうとしながらそれでも歩き続けたのは、止まってしまうのがこわかったんだと思う、そうおじさんは言った。
 夜になると、曲がりくねったべとべとの木の根の上に、鶏のようにうずくまって眠った。ジャングルの中では、体を伸ばして眠る場所はない。疲れのあまり、死んでもいいから横になってぐっすり眠りたい、と海岸に出て行く者もいたが、するとたちまち敵の銃弾を浴びせられるのだった。
「よく助かったね」
 おじいさんは黙り込んでしまった。そして「よく助かったね」と言った山下の顔を、ぼんやりと見つめた。まるで知らない人を見るみたいに。
「ある日」おじいさんは、また話し始めた。「ある日、小さな村を見つけたんだ。」草の葉で屋根をふいた小さな家がいくつかあるだけの小さな村だ。よかった、これで何日かぶりかの食事と新鮮な水にありつける、そう思った。実際、あの時、あの村に着かなかったら、全滅していただろうと思う」
 雨が窓を激しく叩いた。どこか遠いところからやってきた何かが「入れてくれ」と叫んでいるみたいに。
「だが、その前にすることがあった」
 ぼくたちは、黙っておじいさんの言葉の続きを待った。風向きが変わったのだろう、雨はひっきりなしに窓を叩いている。
「その村には、女と子どもと年寄りしかいなかった。殺したんだ。その女と、子どもと、年寄りを」
「どうして」ぼくは思わずきいた。
「いかしておいたなら、居所を通報されてしまうかもしれない。そうしたら、こっちが殺される」
「バババッと機関銃かなんかで」河辺は貧乏ゆすりをしている。
「そう」おじいさんは、あっさり答えた。
「人を殺すってどんな感じ」目を光らせている。山下がやめろよ、と河辺をつっついた。
「女がひとり逃げた。わしは、それを追った。こっちは飲まず食わずだったから、走っていると足がもつれて、息が止まりそうだった。まだ若い、鹿のようにすばしこい女でね、後ろに束ねた長い髪が背中で躍って、ひと足ごとにたくましい腰の筋肉が上下していた。それを見つめて必死で追いかけたんだ、ジャングルの中を。頭の中でゴーン、ゴーンと鐘が鳴ってるみたいで、もうだれを、なんのために追っているのかもわからなくなって、それでも追いつめて銃で撃った。女は大きな小麦袋かなんかみたいにたおれた」
 ぼくたちは黙りこんだ。大きな鐘がゴーン、ゴーンと鳴っているのが、僕には聞こえるような気がした。それとも、風のうなり声だろうか。
「弾は女の背中から胸を貫いていた。近づいて、うつぶせにたおれている女の体をおそるおそる裏返した。その時、初めて気がついたんだが」おじいさんはちょっと言葉につまった。
「おなかが大きかったんだ」
「あかちゃんがいたってこと?」山下が小さな声で聴いた。おじいさんはうなずいた。
「手のひらでさわると、はちきれそうですべすべした腹の中で、何かがぴくりと動いた。その女はもう死んでいるのにね」
 うつむいたおじいさんはどんな顔をしているのか、」ぼくには見えない。
「それからわしは村に戻ると、仲間といっしょに食糧をたいらげた。そうして生きのびた、というわけだ」
 おじいさんはそれだけ言うと、「戦争だからね」とぽつり言った。(p127-129)
(略)
 戦争から帰ると、おじいさんは家に戻らなかった。別れる理由も何も言わないまま、行方をくらましてしまったのだ。生きて復員したことさえ、自分では知らせなかった。奥さんの名前は、弥生。結婚前の名字に戻っただろうから古香弥生だ、きれいな名前だろう、そうおじいさんは言った。
「もっとも、すぐにだれか別の人にもらわれただろうけど」(p132)

 少年たちは、古香弥生を探し出し、認知症の古香弥生と出会うことになる。
 おじいさんは死んだ。甥が葬式に現われて「叔父がね、ある女の人に、お金を遺しているんあだ」「まったき、けっこうためこんでいるのには驚いたよ」という。
 おじさんは「戦争」を引きずって人生を生きたのだった。

「戦争あったから。じいさんも大変だったんだよ、なあ」(p171)
これは湯本香樹美『夏の庭』に出てくる若いパチンコ屋の雇われ店長のセリフ。
彼はどうしても一杯ごちそうしたいと、おじいさんと少年たちをお好み焼き屋に連れて行く。おじいさんは「若い頃、花火坑儒で働いていて、戦争のあとは自動車の修理工場とか植木屋とか、とにかくいろんな職業についた、そんなことをぽつぽつ話している」
 それを聞いた時のセリフとして書かれている。


西山利佳が『〈共感〉の現場検証』でこれに」ふれている。
 九三年5月『夏の庭』が1993年に日本児童文学者協会新人賞を受賞した。そして、同年八月号に長崎源之助が批判をする。/「作者は老人の戦争中の殺人を許しているとしか思えない」と強く批判する。っして、坪田譲治賞でも、椋鳩十賞でも有力候補でありながら、この点が理由で受賞されなかったと述べ「このように、思想上のことで他の賞に落ちた作品に、なぜ平和と民主主義を重んじるはずの、わが協会があえて賞を与えたのか私は不思議でならない。」と「選考委員諸氏のご意見を」求めたのだ。(p34-35)

この問題提起は深まることはなかった。西山は、

「戦争あったから。じいさんも大変だったんだよ、なあ」
削ってもかまわないようなこの一言の果たしている役割は、老人の苦労を語らずして勝手に想像して納得してもらうことでしかない。「戦争というのはとにかく悲惨で人生を狂わす。」そういう定型の物語を利用するために他ならない。『夏の庭』における「戦争」は、「老人の人生を変えた背景として、もっとも手っとり早く説明抜きで納得してもらえる便利な方便として利用されているのだ。そう考えてみると、このような戦争の使い方への賛否両論があるだろうし、定型の物語を利用して、老人の人生を語る手間を省いてしまった表現のあり方もまた議論の対象になるはずだ。(P37)

『夏の庭』が戦争を伝えようとしているのか、というとそこまでの意思は作者にはなかったように思う。だから「定型の物語」からはみ出ていないのだろう。しかし「定型」ですますという安易な道を選んだのは失敗でもあった。
「戦争児童文学」というジャンルがある。戦争を知らない世代が戦争を伝えようとする時の難しさがそこにある。また、戦争を知っているからと言って、戦後の「平和と民主主義」を重んじるあまり被害者としての日本の民衆を描くことで「反戦」の側にいとも簡単に立ってみせる、というのも褒められたものではない。
歴史に向かい合ってこなかった戦後という時間は、戦前・戦中を体験している世代によってすすめられた。いろんなことがありました、という暗黙の了解のあった時代である。戦後75年、戦後世代が体験していない戦前・戦中にどう向かい合えるのか、どう表現できるのか。韓国の現下のドタバタ劇を他山の石として、考える時間を持ちたい。

2020年10月26日