「発達障害」はどこからきたのか――「発達障害」という見方にひそむ落とし穴――」浜田寿美男――残日録230703
「そだちの科学」No.32(2019.4 日本評論社)の特集は「発達障害の30年」である。
そこに収録されている浜田論文からの引用と書き足し。
振り返ってみれば、私が子供だった一九五〇年~六〇年には、子どもの「そだち」から個体としての能力部分を取り出してその「発達」を語ったり、そこでのつまずきを「発達の障害」として意識するようなことは、一部の研究者をのぞけば、まずなかった。もちろん当時の子どもも、個体の能力を伸ばしておとなになっていったことにかわりはないが、そこで意識されていたのは、子どもたちがそのときそのときの力を使って、それぞれ小さな集落に暮らしながら、異年齢の子どもどうしで関係の世界をつくり、あるいは家のなかではおとなたちとともに共同生活の一翼を担いながら生きていく、その姿だったように思う。個体としての「子どものそだち」より、群れとしての「子どもたちのそだち」が全面に出得ていたと言ってよい。そのうえ第一次産業が就業人口のほぼ四割を占めていた状況のなか、田舎では子どもも働き手の一人として野良に出ていたし、街でもいまのように家庭に電化製品のない状況で、家事の幾分かを子どもの仕事として任せられていた。そうしてそだつにつれて、おとなたちから「助かるようになった」と言われ、そのことが子どもなりの自信にもつながっていた。私自身がこうした生活状況のなかでそだってきたこともあって、私のなかで「こどもたちのそだち」として思い浮かぶのは、おおよそそうしたイメージである。(p3)
と書いている。「発達論」における「子どもたちのそだち」から「こどものそだち」への移行を時代の変容と受け止めつつも、
じっさい、人間は多様なもの。その多様な人間が生身で出会い、そこに相互のかかわりの世界が多様に展開する。しかし、「障害」というラベルはその多様性のなかに一つの仕切り線を持ち込んで、共同性の質を変えてしまう。「発達障害」という新しいラベルの登場によって、実はそこにもう一つの仕切り線が引かれてしまった。その意味を考えないわけにはいかない。(p5)
と提起している。これは精神医学の領域からの一つの意見。
この号には滝川一廣「最終講義――精神発達について考えてきたこと」も収録されている。
これ以上書き写す体力がないので、もとの論考並びに他の特集もおすすめしておくにとどめる。杉山登志郎「平成を送る」村上伸治「発達障害と精神療法」が素人には読みやすい。
浜田の指摘は、滝川一廣「逆境がもたらすもの」(「そだちの科学」No.39 2022.10)につながるのだろうか。
やがて愛着への研究的・臨床的な関心が再び高まり、この子どもたちの相互関係の困難やつまずきを「愛着」の障がいと捉えて、そのケアを重視する動きが生まれた。愛着の絆をあらためて育んで、安心感や信頼感の土台を再建しようというものである。(p8)
障害児教育については、田中昌人(「発達保障論」+「養護学校義務性完全実施派」)VS「養護学校義務性絶対阻止派」という教育心理学の忘れ去られた?領域も近い昔にあって、これだけででもリベラル社民と日本共産党とは相容れない、という政治的立場があっていい。養護学校に異議あり、養護学校=津久井やまゆり園化という声もあっていいだろうに、と思う。
まあそれは教育学・教育心理学の話で、精神医学の領域とはいろんな側面において遠いのかもしれない。とはいえ、スクールカウンセラーである臨床心理士はその狭間にあって、何をして、何にぶつかり、何を考えているのだろう。
疲れているといいつつ蛇足がついた。