身辺雑記 残日録230920
8月15日に入院、17日大腸手術、9月3日に退院。その後は、体力に合わせて、ぼちぼち映画『私のはなし 部落のはなし』上映の準備をした。
9月10日試写会、17日監督を招いての学習会。あとは11~12月の3回の連続上映会の準備となる。
その頃には人工肛門を閉じる手術が待ちかまえている。腰の骨折は手術しないで、リハビリで筋力をつけることになるらしい。
実家の水回りのリホームが終わって、清掃に取り掛からなければならない。先週、加古川に帰ったが、帰るだけでくたびれてしまい、為すことがないままに終わった。来週は台所と風呂場の掃除や家具の搬入をすることにしているが、体力次第ではある。
K氏からの手紙に、病を得て「気力」が落ちた、とあった。お互い様、と書き送った。
私達は団塊世代の少し年下にあたるので、戦後精神、といった「大きな物語」も知っているが、浅田彰『構造と力』や東浩紀『存在論的、郵便的』にも触発されてもいて「ポストモダン」も無縁ではない。K氏や私は狭間の世代とまでは言えないが、とりとめのない、とらえどころのない思考に埋没している人たちなのかもしれない。そのことと「気力」の落ちたことが通底しているようにも思える。「表現」を生み出す「気力」が不足しているのだろうか。
7月に今福龍太氏の連続講座「第1回 木から紙へ、紙から本へ――寿岳文章『紙漉村旅日記』の余白に」が近所であったものだから聴きに行った。書く文章は難解であるのは少し読んでいて知っていた。話はあまりまとまらなくて、話しながら考えるタイプのようだった。内容に目新しところはあまりなくて、加齢の分だけ私の知っていることが多かったのは当然ではあるが、私より若い聴衆には新鮮に聞こえたようであった。
「頭のいい人」というのは、自分が知ったことを周りの人はまだ知らないのだと思える能力がある。今福氏もそういう人のように思えた。昔日であるなら「啓蒙家」だろうか。
寿岳は柳宗悦の民藝運動に参加している。柳も同人であった「白樺派」というのは学習院の出身者が中心で、お金持ちの子弟である。大東亜戦争に提灯持ちの雑文を書いて糊口をしのぐ必要はない人達であった。それを離れて彼らの「営為」は成り立たないように思えるのだ。もちろん、そういう境遇が否定されるべきだということにはならない。柳宗悦の「朝鮮」「沖縄」という例もある。寿岳のそういう側面も言及されてよかったのではないか、と思った。無い物ねだりでもあるのだろうが。
70歳にもなると、古い知識ばかりが頭の中に詰まっていて、そのことが思考のじゃまになることもある。「無い物ねだりでもあるのだろうが」はその類だろう。