『二十歳のころ』の加藤尚武と廣松渉

当時、高田馬場にあった板倉(聖宜―明定)研究室の下の階にあった仮説会館に立ち寄ったら、板倉先生がおられて、少し雑談をした。帰ろうとしたら、もうすぐ立花ゼミ生がインタビューに来るとおっしゃる。いてもよかったのだろうが、用もあるので退出した。後日、立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ『二十歳のころ』(1998,新潮社)としてまとめられている。

 板倉さんのところは読んだものの、そのままになっていた。

 この度、拾い読みをした。

 「加藤尚武にきく」のところに、



――で、奥様は……。

 私の妻は廣松渉夫人の妹です。私の結婚は彼の政治工作の成功した唯一のもので、彼はいろんな政治工作をしたけれど、自分の女房にしようと思っていた女性の妹を加藤尚武と結婚させようってこと以外は、しっぱいしたんじゃないですか。うす暗がりの中の陰謀が好きな男で、四人で学習塾をやるという条件を作って、いろいろそういうお膳立てをして、結局彼の思惑どおり私は彼女と結婚してしまったわけです。結婚式をしたのが確か一九六五年の十月、院政時代です。



 とあった。これは知らないことだった。

加藤氏は、板倉さんたちがつくった東大自然弁証法研究会の会員だった。廣松は二度、その会に顔を出していたと板倉さんから聞いている。廣松の伝記では黒田寛一の自然弁証法研究会にいっていることになっていた。これは誤りではないかと思う。

また廣松の『科学の危機と認識論』に背後に板倉科学論を、私は読み取るのだが、どうだろうか。

20200412

2021年01月09日