図書館長1%論 残日録 210515
ある図書館長の談話が新聞に載ったのです。「自分が図書館長としてできることは、図書館の仕事の中で1パーセントにすぎません。後の99パーセントは、市民の皆さんがやって下さるのです。私はそれに従うだけです」こういう館長は一体、責任をどう思っているのでしょうか。いかにもきれいでしょ。市民の皆さんが見ると、あっ素敵な館長だなと思うかもしれないけれど、これは全然素敵じゃないですよ。専門家だ専門家だと言いながら、その専門家とは、一体何なんですか。市民と役所とか市民と図書館の関係というのは、やはり一種の緊張関係にあるのですね。「市民の皆さんの言うことを私はやるだけです」なんて本当にやれると思いますか?第一、市民の皆さんが言うことといったって、何万人居る人の」いうことをみな聞いているわけではないし、聞くとしたって、せいぜい数人ですよ。一見もっともらしいきれいごとをいう。市民をべたべたべたべた持ち上げる。「みなさんのおかげです」というようなことをやたらいう。私は、本当にあれはいやですね。」
『前川恒雄著作集』第2巻.出版ニュース社.1999.p173~174
とある。「ある図書館長」とその「談話」は明定義人自身のことではあるが、それ以外は、そこから引き出した前川氏の意見というものだろう。ひとくくりにして、人物評として受け止められると、困るところがある。わたしは市民をべたべた持ち上げたつもりはない。専門家だ専門家だと言っている図書館員もいるのかもしれないが、わたしはそういう言葉を使うことはない。専門家なのか、そうでないのか、は99%の側の評価にある。
1%というのは建築家村野藤吾の『99%を聞き、1%を(村野に)託す』という言葉から学んだ姿勢である。建築の世界では有名な言葉である。長谷川堯との対談集『建築をつくる者の心』(「なにわ塾」新書.大阪府.1981)がわかりやすい。
明定の『本の世界の見せ方』(日本図書館協会.2017)でもふれている。