磯崎純一『龍彦親王航海記 澁澤龍彦伝』読了

小室直樹、鶴見俊輔、宇沢弘文と伝記を読んできたが、この度、澁澤龍彦の伝記を読み終えた。

同級生のYと親しかった頃だから高校生時代だと記憶しているのだが、三宮の書店コーベブックスに稀覯本を並べたコーナーがあり、不思議なとしか高校生には言いようのない女性が店員としていた。その女性が、高橋たか子が澁澤龍彦とできてね、奥さんとごたごたしているらしいの、という話を聞いたことがあり、その奥さんが矢川澄子だと知り、矢川澄子は谷川雁と関係を持ったことを後日に読んだりしたので、そんなごたごたに魅かれて読んでみようと思ったのだった。澁澤とその周辺の人々について、若い頃は関心を持ち、読んだりしていた。加古川の田舎者には東京の空気は全くわからないのだが、澁澤の文体や金子国義や四谷シモンの作品を楽しむ時間があった。高橋睦郎という詩人は、詩では食えないから貧しい生活をしているのだろうと思っていたりする田舎者であった。広西元信という人物がこの伝記に一度だけ登場するが、「そのころ(1948年—明定)電通ビルの前に「ねすぱ」という喫茶店があり、ジャーナリストの溜まり場となっていたが、私はここで、当時「世界文化」を抱いていた気鋭のジャーナリスト水島治男や広西元信に会っている」という澁澤の戦前戦後、わたしの銀座」からの引用に登場する。磯崎は広西が『資本論の誤訳』の著者であることにはふれていない。まあこの伝記には関係のないところではあるが、「なにしろ若かったので、談論風発する多士済々のなかに混じって、私は学生服をきて、ただ黙々と酒を呑んでいるほかなかった」の「談論風発」のイメージが弱いことは確かである。

20200406

2021年01月09日