巳年睦月雑記 残日録250111
新年 明けましておめでとうございます。
今年の賀状は
頌春 2025
うたた寝の目醒め酔い覚め初明り
ねばならぬことの一つもうかばねば
今年の春はどこに行こうか
今年の夏はどこに行こうか
よどみに浮かぶうたかたは
かつ消えかつ結びて
春の桜も夏の海も見ずに過ぎるや
今年の秋はどこに行こうか
今年の冬はどこに行こうか
大かた世をのがれ
うらみもなくおそれなかれども
秋の紅葉も冬の山も見ずに過ぎるや
さあ、今日はどこにいこうか?
ほら あの丘の向こう側まで続く青空
もういいかいと仰ぐ空
まあだだよと返す朋あり
本歌;鴨長明「方丈記」
泉谷しげる「春夏秋冬」
です。
毎年、出す方も届く方も激減です。「今年を持ってやめさせていただく」という賀状がある。そういう前触れもなく、となると、安否が気になるが、1~2年は一方的に出したあと音沙汰なしだとこちらからも出さないことにする。病に臥せっていることを知っている場合は、出し続けることもある。
近親者が亡くなりましたと知らせてくれる場合もあるが、そういうお知らせがない場合もある。そんなときも1~2年は出す。
私より1歳年下の元図書館員がいて、このT君は60歳代から体調が悪く、高齢の母親の運転で病院通いをしていたと聞いていたが、1昨年から賀状が届かなかった。新年早々に妹さんから、2年前に実母が亡くなられたこと、当人は前々から入院生活で、現在は要介護4で介護施設に入っているとのことなどをお知らせいただいた。彼の場合は、意識がしっかりしている間は一方的に出し続けることにする。
小学校の同窓会の幹事を数年前にしたときに、中学校卒業以来、22歳の時の同窓会で会ったかもしれないが疎遠のI君と電話で長く話したことがあった。彼は難病とのことで療養生活だそうだ。同窓会には出られないが、案内状はほしいとのことだったので、次回の幹事に申し送った。電話をしたあとの新年の賀状を出しておけば良かったのに、とT君のことを知り思った。
年明けてからも体調の不順は続き、寝たり起きたり、ではなく、たまに起きたり、の日々が続いている。
今年は春頃に物置兼書斎が加古川に完成するだろうから、書架・本等の引っ越しをして、秋までにはこの六夢堂を閉めるのが、主たる「たつき」となるだろう。これといったこともすることもないのだが、何もしないわけでなく「ジタバタ」と「抗い」続けるその流れのなかの、どちらかというと実務的な時間というわけだ。実家の外壁の修理が済めば、あとは少しずつ人生の店じまいがすすんでいく。病院通いが増えるばかりか。
「棚を吊って牡丹餅を待つ」という言葉が板倉聖宣『発想法かるた』にある。「棚から牡丹餅」ではない。主体的に「棚を吊って」おくからこそ、牡丹餅が落ちてくるのだ、ということだ。普段から「棚」は吊っておく。その「棚」が古びないようにしておくことも必要だ。
そんな中でも何かできることと出会うなり、見つけるなりして、「抗う」時間が生まれれば嬉しい。やりたいことがやれること、というわけにはいかない。やれることがやりたいことというわけでもない。
「棚」を補強したり、新しく吊ったりする1年になるように思う。