辰年師走雑記2 残日録241225

今年は「被差別部落の「地名」と「図書館の自由」について」を一仕事としたので、それなりの1年だった。

物置の図面が出来てきて打ち合わせをすすめることにする。来春にはできるだろう。一挙にとはいかないが、借り店舗の「六夢堂」の閉店に向けて少しずつモノの移動を始めることになる。来年はもっぱら店じまいに向かう日々ということになるだろう。
まずは自宅マンションの蔵書の整理と加古川への配送から始めることになる。というのは、復刊した井上靖『星と祭』の増刷本が1千冊余り店にあって、これをマンションに移動するのが手始めということになるからだ。2021年6月に2千冊増刷したのが、3年半で9百冊ほど売れたので、数年後にはまた増刷ということになる。出版を引き受けている能美社にほとんど利益のない本を置いてもらうわけにもいかないので、当分の間は復刊プロジェクトの代表の私について回ることになる。

体調をくずしたので、「布団の中の猪八戒」の時間を、録画している番組を観たり、月刊誌や漫画を読んだりしていた。
BLコミック「スメルズ ライク ティーン スピリット」(永井三郎)は、ど田舎の中学生の物語。これがドラマ化された。良かったので、同書のスピンオフ「深潭回廊」(5巻まで、連載中)を読んだ。
前書で男子中学生を襲った同性愛者の教師柳田の退職後の物語。死に場所を求めて放浪する柳田がたどり着いた海岸の寒村で中学生の男の子渚と出会い、物語はすすんでいく。ともかくも「暗い」。救いがない。BLお約束の♂✖️♂の描写が少なくエロっぽくもない。(このお約束はコミックの場合でも小説の場合でも付け足しのようなこともあって、それがBL批評の対象でもある。)BL恐ろし。
BLコミック「ひだまりが聴こえる」(文乃ゆき)は読んでいなかったが、ドラマ化されたのを観て、読むことにした。難聴の大学生航平と同級生の太一の「友達以上、恋人未満」の物語とWikiにある。
ドラマでは二人のこれからを垣間見せて終わるが、コミックはまだ連載が続いている。これもBLお約束の描写が薄い。聴覚障害をテーマにした作品というほうが強いと思う。(2013年12月から連載が始まって、続編が現在も連載中)
聴覚障害を描いたコミックに「遥かなる甲子園」「どんぐりの家」(山本おさむ)、「君の手がささやいている」(軽部潤子)などがある。図書館にあって背表紙は知っているが読んではいない。最近だと「聲の形」など。
BLを舞台にする必然性はどこにあるのか、は読み込んでいかなければならないのだが、手におえない気がする。
「このBLがやばい!」を10年間分取り寄せてみたが、ぱらぱら読んだところで、体力が落ちて積読になった。

旧作ではあるが「岸辺のアルバム」が再放送されたので見ることが出来た。1977年の放映だから、図書館員になったばかりであちこちの研究会に出かけていて見逃していたのかもしれない。テーマが「主婦の不倫」だったので、両親が見るのを避けたのかもしれない。父方の祖母が不倫の疑いをかけられ自殺したのだから。
祖母は美人だったそうで、子どもの頃「おばあさんは美人だった」とよく聞かされた。自殺のことを知るのは10数年前のことだから、早く死んだことと美人だったことしか知らなかったので、リアリティはないままだった。
父方の親戚は厄介な人たちであった。母方の親戚は何かとゴタゴタもしたが、それほどのことはない。両親は双方の親戚との付き合いで一生を終えたようなものだ。小津安二郎の映画が好みで、家族が崩壊していく物語に共感していた。家庭像を小津の映画から学んだところがあって、それは未来に広がる家族――他人が家族の一員となる――というイメージに蓋をしたものだった。箸の上げ下ろしが出来ていない、洗濯物の干し方が恥ずかしいなど、どうでも良くはないないことだが、それにしても気難しいところがあった。
「麦秋」の三宅邦子の長男の嫁が気に入っていた。独身会社員の原節子の買ってくるケーキが大きくて、長男の嫁の買ってくるケーキが小さい話があって、最後の方で結婚して秋田に行くことになった原節子に三宅邦子が、結婚すると生活は気楽ではないことをしゃべるところなど、お気に入りだった。
長男の私について、父はあれこれとうるさかった。着るものについては目立つことなく品よく、だった。品よくても目立ってはいけないのだった。溺愛というわけではなく、自分の手元に留めおきたいのだった。思春期を経た少年にとってそんな家庭が息苦しくないはずはないのだった。私に気難しい父に反抗すると、母の育て方が悪いとあたるので、私に反抗期の感情の爆発のようなものはなかった。
それでも私も小津安二郎が好きなのだ。
「石橋をたたいても渡らない」性格の父と比べると、母は少しはみ出たところのある人だった。はみ出るといっても、父の好みの範囲内でのことであるが。どちらかというと、私は母に似ている。目立ちたがり、というわけではないつもりだが、目立つことが気にならない。50代後半から着る衣装に凝ったのも、和服の好きな母と似ている。
母はご近所の友人に恵まれた人だったが、父は孤独な人だった。働いていた頃は職場の友人があった。しかし、退職後は田舎の協調性のない老人あつかいだった。世俗のことが嫌いだったのだと思う。
私にも父と似たところがある。

年末になって、インフルエンザに罹った。体調をくずした上に罹患したようだ。幸い軽症だ。
紅白で坂本冬美が「能登はいらんかね」を歌うそうだ。「いらんぞよ」と言わぬばかりの仕打ちだったが、それではうまくいかないので、方向転換しているのだろうか。

2024年12月26日