安岡真『三島事件 その心的基層』(石風社.2020) 残日録210526

作家三島由紀夫が盾の会の会員4名とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で起こした事件。三島は森田必勝とともに割腹自殺をする。
当時、高等学校3年生だった私は、その後の国語の授業中に教師から、どう思ったかという問いかけに対して、「あんな右翼はさっさと死ねばいい」という風なことを言った。親しいYが、切腹したときに痛みを感じたのだろうか、と言うもんだから、そんなの痛いに決まってるやろ、と反論した。そんな記憶がある。
『仮面の告白』や『鏡子の家』『金閣寺』は読んだが、『豊饒の海』四部作は読んでいない。祖父の平岡定太郎の本籍が、私が生まれ育った村とそう離れていない、印南郡志方村(加古川市志方町)上冨木だったこと。ずいぶん前のことだが、猪瀬直樹が三島についてテレビで取材したことがあって、その番組に、母の知人の船江のおじさんが農民作家として登場し、徴兵検査のときの三島についてはなしたのにびっくりした。その徴兵検査の場所が加古川市の公会堂であって、後に市立図書館となり、8年間、図書館員として働いたことがある。
三島由紀夫についてその程度の関心しかなくて、三島についての本も読んでこなかった。
どこかにこの本のことが紹介してあって、私より4年年下の著者がどう書いているのかと気になり、読んでみた。帯に
「徴兵監査第二乙種合格/二十歳の平岡公威=三島は、/兵庫で入隊検査を受ける。/風邪気味だった三島を/若き軍医は肺湿潤と誤診。/三島が入隊すべき聯隊は、/その後フィリピンで/多くの死者を出した/」と、三島は終生思い込んだ。」
とある。乙種には第一と第二があり、第一は「乙種であっても現役を志願する者」「抽選で当たった者」第二は「抽選で外れたもの」、一応は「現役に適する」から召集令状が来たので入隊検査となったのである。徴兵逃れではないが「田舎の隊で検査を受けた方がひ弱さが目立って採られないですむかもしれない」という父の入れ知恵により本籍地の加古川で徴兵検査を受けたが合格した。とウィキにある。
著者によると、その後フィリピンで多くの死者を出した、のではなくて、聯隊は小田原に配置され全員生還していたのである。そのことを三島は知らないまま戦後を生き、そして自死した。という説である。すごい三島論が出た。
だからといって、『豊饒の海』四部作を読もうという気にはならないのは、このところ読んでおきたい本が山積みになっているからだ。3月の「江戸を楽しむ」という講演と4月末の「児童サービスにおける「子ども観」」という作文にエネルギーを使った後、斎藤幸平『大洪水の前に』に手こずり、という5月だった。

2021年05月26日