小宮山量平「『敗戦』三十年を考える」から

 先見の明を誇る思いはないのです。むしろ哀しい予感というべきでしょうか。八・一五から一年たち、二年たつのにつれて、深い哀しさが私をとらえるようになりました。

 ――私たちの心は一九四五年8月5日において敗れてはおらず、おそらくは更に二、三十年後に真の敗戦を実感するのであろう。

 当然、こういう意味の文章を、何度も記しております。季刊『理論』は、こんな思いを刻むための雑誌であったとも言えましょう。公式主義を踏まえて頑なに対立しあうような風潮を克服するための「共通地盤」を考える特集を、毎号つづけていたものです。

 それらの特集から、『近代理論経済学とマルクス主義経済学』とか、『社会科学と自然科学の現代的交流』など、私の初期単行本の出版も発足したのでした。今にして、学際的交流などが高唱されはじめている潮流を眼のあたりにしますと、悲しい微笑が生じます。

 また、啓蒙主義的な理論や思想の受け売りめいた客観主義に逆らって、『主体的唯物論への途』だの『戦後精神の探求』なdの諸著が示すような主体性への呼びかけも熾烈な社風でありました。この時期の単行本が二十年後の六十年代に、学生の基本文献であるかの如く復活しはじめたころ、私は、あだ花をみつめる思いで、自分では増刷も新版も試みませんでした。

 ――虚しく時は過ぎた!

 そう思うのです。気づくべきときに気づくのと、後になって気づくのとでは、埋めつくせない溝があるものです。後悔は先に立たず腹水は本にかえらない道理です。もともと、「敗戦」と言えば、どんな革命や改革よりも、ダイナミックな変革の道すじを示す大転機だったはずです。(以下略)

(初出「文化通信」1975.3.10 『出版の正像を求めて』日本エディタースクール出版部,1985 所収)



 理論社というと『兎の眼』や「ぼくは王さまシリーズ」の児童書の出版社という印象が強いが、創業者の小宮山は当初、経済・歴史・社会科学の出版社として理論社を発足させている。

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2021年01月09日