『読み聞かせる戦争 新装版』日本ペンクラブ編 加賀美幸子選(光文社.2015)残日録221102

太田治子の解説から。

 おととしの秋、神奈川近代文学館で原爆文学朗読会があった。朗読してくださったのは、加賀美幸子さんである。朗読は最初に原民喜の有名な作品、『夏の花』から始められた。その後に続くどの詩の作者の名前も私は知っていた。
「次は林幸子さんの『ヒロシマの空』です」
 加賀美さんがそういわれた時、はてと思った。その詩も勿論、作者の名前も初めて聞くものであった。朗読に耳を澄ますうちに、私はいたく動揺した。被爆当時少女だった林幸子さんはわが家の焼け跡の土の中から、父君と小さな弟のまだ生暖かい内臓を探しだされた。何といういたましくも生々しい現実だろう。会場からはすすり泣きが漏れて、私の傍らの奥さまも声を上げて泣いていた。誰しもが林さんの友人であり身内であるような思いにかられていた気がする。加賀美さんの朗読はどこまでも落ち着いているだけに、よけい悲しみが伝わって来たのだった。
『ヒロシマの空』を書かれた時に二十代の主婦だった林幸子さんにとって、この詩を書くことはどんなにつらい作業であったろう。
「林さん、よくぞ書いて下さいました。加賀美幸子さん、よくぞ朗読して下さいました。どんなにいたましいことであったか、よくわかりました。ありがとうござました」 
 私は神奈川近代文学館の帰りに元町に向かって山手の道を歩きながら、ずっとそのことを心の中でつぶやき続けていたのである。
 昨年の春の日本ペンクラブ編集出版委員会で新入りの私は、神奈川近代文学館の加賀美幸子さんの朗読に胸がいっぱいになったことをお話しした。加賀美さんの朗読を柱として戦争の現実が伝わる本ができないものでしょうかと発言したところ、どなたも大きくうなづいて下さったのである。それにしても、こんなに早やくその本が刊行されるとは思ってもみなかった。(p259~261)

 そういう経過で、この本は加賀美幸子の朗読CD付きで、初版はアメリカ同時多発テロの翌年2002年に刊行されている。戦後70年新装版として再版されている。27篇の詩と散文(抄録)が選ばれている。

 早乙女勝元の『母と子でみる東京大空襲』から。

 それでは、東京は何回の空襲を受けたのでしょうか。
 百三十回です。延べ四千九百機からの敵機がやってきて、約四十万発もの爆弾・焼夷弾を落としました。
 これにより全東京の六割が消えてなくなり、傷ついた人は約十五万人以上、無念の死をとげた人は約十五万五千人以上です。太平洋戦争開始時に七百三十五万人だった東京の人口は、敗戦時に三百四十七万人になりました。ですから、空襲や疎開のために、四百万人もがいなくなったのです。
 日本全体ですと、約百五十都市が空襲を受け、一般民衆の死者は推定六十万人です。
 このうち、広島・長崎の原爆による死者数が、ちょうど半分に当たります。
 しかし、この一般市民への無差別爆撃は、アメリカが初めて行ったわけではありません。
 日中戦争の始めから、特別な軍事目標のない中国の諸都市に向けて、猛爆撃を行ったのは、実はほかならぬ日本軍だったのです。
 一九三七(昭和十二)年、日本軍は中国の首都南京を占領、市民大虐殺のあと、蒋介石政府を追いかけて、揚子江上流の無防備都市重慶に対し、翌年二月から、非戦闘員をふくめた無差別攻撃に踏み切ったのでした。
 非戦闘員とは、武器を持たない一般市民のことで、小さい者や弱い者たちです。
 日本軍の重慶爆撃の惨状を写真で見たアメリカ大統領ルーズベルトは、拳を握りしめて、「東京市民に、重慶の女子(おんなこ)どもたちの苦しさを思い知らせてやる!」
 と、さけんだとやら。
 このようないきさつをふりかえりますと、なんのことはない。東京のみならず日本本土への空襲と戦災は、ほかならぬ日本軍がその種を撒いたようなもの、といえるかもしれません。アメリカ軍の戦略爆撃は、より大規模な無差別爆撃となって、日本の諸都市にはね返ってきたのでした。
 東京大空襲の惨禍をふりかえるとき私たちは、兵士だった父、祖父たちが、アジア諸国のいたいけな子どもたち、母たちの生命を多く奪った事実も、決して忘れてはならないことだと思います。(p104~106)

 被害者は忘れないが、加害者は忘れる。忘れることもある、そして語らないこともある。
 保阪正康『戦争体験者 沈黙の記録』を思い出す。

 「韓国・朝鮮徴用工」の拉致と「北朝鮮拉致問題」は別のことではあるのだが、前者の記録と記憶については語リたがらない空気がある。

 戦後十六年目の一九六一(昭和三十六)年十二月七日のこと。政府は、アメリカの一軍人に結構な贈物をさし上げました。信じられないことですが、最高級の勲一等旭日大綬章を受け取ったのは、カーチス・ルメー将軍です。
 ルメー将軍は、その時米軍空軍参謀総長で、折からのベトナム戦争にB52戦略爆撃機でベトナムに無差別爆撃の火の雨を降らし始めたんでしたが、このルメーこそ、太平洋戦争末期、東京を中心に日本本土を灰燼にした責任者、サイパン島の第二十一爆撃司令官だったのです。
「日本の自衛隊の育成に貢献したから」
 というのが、叙勲の理由でした。
 炎の中に焼かれていった死者たちが、この世によみがえったとしたら、一体なんと言ったことだろう。
 思えば、こんにち私たちの手の中にある平和は、棚ボタ式に、自動的に得られたものではありません。
 それは、あの日あの時、国の内と外と、言葉や文字にいいつくせぬ人びとの痛ましい犠牲の上に、やっと築かれたもの。だとすれば、それら無念の死者たちの思いまで受け継いでいくのが、生き残った者、あるいはその後に生まれてきた人たち人間としての心であり、義務ではないでしょうか。(p109~111)

 この『読み聞かせる戦争』は、朗読に適う程度の文量の抄録にねっていて、大岡昇平『レイテ戦記』、大西巨人『神聖喜劇』、駒田信二『私の中国捕虜体験記』などが収録されている。


2022年11月02日