近況雑事 残日録230726
一昨年来、某高校の年に一回の長浜散策兼読書会に付き合っている。初年度がゴッデン『ねずみ女房』、昨年がヴィルフェル『灰色の畑と緑の畑』から「ろくでなし」など。そして今年は宮沢賢治『注文の多い料理店』をとりあげた。
生徒が「宮沢賢治は小説を書かずに、なぜ童話を書いたのだろう」と質問してきた。
何かを表現しようとするとき、言葉が通じないなあ、と思うことがあって、どうすれば通じるのだろうとあれこれ考えてみる。賢治が見つけた場所が童話の世界だったのではないかな、と答えた。当たっているかどうかはわからないが、そんな言葉が出た。
「さあどうなんだろうねぇ」と応えなかっただけ、まあいいか、と後で思った。
「ゆとり世代」以降の世代が素晴らしい、という話。先日、加古川駅の隣の宝殿駅で食堂をいとなんでもいる少年サッカーのコーチの言葉を紹介した。コーチ曰く、団塊の世代の人口は多かったけれど金メダルの数は今と比べると数が少ない、という。その通り。サッカーの選手を目指している子どもたちは、日本一を目指しているのではない。世界に通用する選手を目指しているのだ。だから語学が必要なのだ。と言ったことに話は広がった。
「ゆとり世代」以降の世代が素晴らしい、とまでは言い切れないが、2000年代を前にした1980年代からの文科省の「理想主義的」な施策がある程度、評価されるべきであろう。
それに気のつく業界と気がつかない業界がある。バレーがずっと良くなった。
入退院と診察・検査。あまり親しくなかった総合病院と縁ある日々が続いている。盆明けには手術入院が待っている。夏から冬にかけてイベントなど企画したのだが、片手間のことしかできないだろう。腰痛もあって、必要なのは休養しかない、という気分だ。この分だと秋に腰の手術だろうか。
70歳を期に新しい暮らしを、と思っていたが、実家の修理などもあり、修理後は長浜と加古川を行ったり来たりの生活になるのかもしれない。借りている店舗の古書の処分や好きで手に入れた品々にも時間を取られるのだろう。
「引きこもり」というわけではないが、他所様から「もっと活動的になるべきでは」といったお言葉をいただく程度には「静かな日々」と見えるらしい。まあ、程度の差こそあれ「静かな日々」ではある。
昨日は梅田芸術劇場にてミュージカル『ファントム』観劇。今日の午前は病院で「MR」。明日は午前中に市役所で映画会等の相談。明後日の木曜日はリフォーム中の加古川の実家で打ち合わせ。金曜日が病院で外科診断。土曜日の午後は旧長浜市内で今福龍太氏の連続講座の初回。日曜日から2泊3日で東京。初日が井上靖研究会。二日目の夜は落語会。さて3日目はどうするか。