雑録―母の近況など 残日録220326
父が亡くなって10年経つ。享年89歳。母の一人暮らし歴10年である。弟は連休になるとマメに帰っている。長男の私は、盆と正月に帰るほかは、めったに帰ることはない。長浜と加古川では新快速で3時間ほど時間がかかる。電話をすることも、年に数回だ。
母は昭和2年生まれで、この2月に95歳になった。ゴミ出しや畑仕事など、ご近所さんのお世話になっている。週に3回、介護に来てくれる。買い物と病院通いは従兄妹がやってくれている。
その従兄妹に不満があるので、その不満を電話でも対面でも聞くことになる。帰郷したときは、その不満を筆頭にして、他人様に言えない恨み辛みを3時間ほど聞くこともある。この正月は4時間を記録した。弟は私が長浜に帰ると、そのあと母の体調がくずれる、という。あれだけしゃべり続けると草臥れもするだろうし、体調も悪くするだろう。
何せご近所の洗濯物の干し方が気に入らない、といったことが、いろいろある。だれそれにこう言われた、ああ言われた、とずいぶん昔のことでも「腹ふくるるわざなり」が多い人である。年月によって忘れるわけでない。今年は私の高校進学についての話が加わった。何とか進学校に滑り込んだ私について、同級生のQ君の母親が、うちの子が行けないのにあんたの子が入れるわけがない、何か手をまわしたのでは、と問いただした。という新ネタが加わった。手をまわしたことはないが、勉強ができない中学生と思われていたのだろう。
久しぶりに加古川の母に電話をした。台所と居間の間のガラス障子に身体をぶつけてしまい、ろっ骨を折ったという。折った右側の腕が伸び切らないので、起き上がることが一仕事なのだという。施設に入ろうかと思うが、周囲の人から、そんなところに入るとボケるからやめた方がいい、といわれているそうである。今のところ、痴呆はない。興奮すると人の名前を間違える程度。ボケもあるだろうけれど、施設の職員への不満をいっぱい心にためてしまうだろう、と思う。先年、亡くなった大伯母は施設で100歳から5年間暮らしていたが、しだいに痴呆が進んでいった。施設の内情はよく知っている。
もう少しの間は、這ってでも家のお守りをしていただかねばならない。母が施設に入ることになると、毎週、長浜と加古川の往復生活になる。これは覚悟のことではあるけれど、なるだけ先に延ばしたい、というのが本音。
夫婦とも小津安二郎の映画が好きだった。若い頃はよく覚えているなあと思っていたが、一本の映画を何回か繰り返し観ていたらしい。夫婦そろって「佇まい」を気にする人たちだと言える。