『真夜中の図書館/図書館を作る』辻桂子 郁朋社.2006 残日録211130

「マ・ヨ・ト」の司書さんはいつも人を見ている。きっとニコニコしたポーカーフェイスで〈僕はあなたの借りる本なんかに、関心はありませんね〉というようにお天気の話なんかしながら本を並べたりしているに違いない。それでいながら、あの人はこの前もあの本棚の前で長い時間立ち止まっていたな、なんてことを頭の隅に書き残しているに違いない。そして、彼女にきっと必要とされるだろうという本を注文し、本棚に並べる。それからあの大きな目をくりっと回して「きっと来る」とまじないをかける。毎日、毎日、図書館の中でこんな素敵な罠をいっぱい仕掛けて「今日は誰が来るかな」とわくわくして待っている。すると、大体1ヶ月、いや3ヶ月もかかるかな、彼女は罠にかかって本を手にする。それが自分のために並べられた本だとは露知らず「この本が読みたかったのよ」とか何とか言いながらカウンターに向かう。それを見た「マ・ヨ・ト」の司書さんは、やれやれと一仕事終えた満足感に浸りながら本棚へ向かい「次はこれとこれ」と本の背表紙を少しだけ前に引き出す。彼女が次にこの本を読んでくれるように……。
 そんな「マ・ヨ・ト」の司書さんの正体はきっと「いそぎんちゃく」に違いない。図書館の本の海に住んでいて、体中から何千本の透明な触手をまちの隅々まで伸ばし「みんなの暮らし」や「まちの悩み」や「子どもの涙」なんかをそっとなでている。夜になると、ビールなんか飲みながら、ふぅーと、ため息をついて、今度買う本のことを考えている。海の広さはちょうどこのコミュニティぐらいあって、浅瀬にも岩場にもいろんな人が住んでいる。月の夜に生まれたばかりの赤ちゃんもいるし、一体いくつになったのか誰も知らない大亀もいる。「マ・ヨ・ト」の司書さんは物珍しそうに、波間を漂いながらいろんな人と友達になる。
図書館の海は、その深いところにコミュニティの遠い昔を抱えている。「マ・ヨ・ト」の司書さんはときには歴史に埋もれて、じっと過去を見ている。かと思えば、嵐の海で危険を冒しながら波を飛び出し、真っ暗な海で灯台の明かりを探す。未来がどっちの方向なのかをどうしても知らなければならないからだ。
辻桂子『真夜中の図書館/図書館を作る』郁朋社.2006年 (p79~80)

辻桂子さんは、出版された時点では、西日本新聞地域情報誌『エルル』記者。司書・生涯学習インストラクター。前原氏の図書館作りを応援する会、「ぶっくくらぶ」代表。「図書館発見塾」代表。などとある。現在も地域づくりアドバイザーとして「ワークショップ型計画づくり」「ワークショップ型研修会」などの「まちづくり」に関わっておられるようだ。(ネット上の同姓同名の情報だから確実なものではないが、福岡県内の「辻桂子」ではあるのだ。)
 図書館員が本を選ぶ、その行為への期待が書かれているといってよいだろう。「未来がどっちの方向なのかを知らなければならない」のだが、そのためには、「予想」を立て「実験」結果(社会の進み方)から学び、社会認識を深めていくしかないのだろう。
 来月は宮崎の図書館員に向けて「選書」の話を遠隔でする。はじめのところで、辻さんのこの部分を紹介することにしている。

2021年11月30日