映画「私のはなし 部落のはなし」上映のことなど――近況雑事 231127-231224

今年の春頃から「私のはなし 部落のはなし」の長浜上映会に関わっている。NPO湖北じんけんネットワーク(代表;田邊九二彦)に上映の話を持ち込んだら、市民協働事業として長浜市とNPOの共催事業のなかに組み入れて開催することになった。

9月10日(日)試写会 長浜さざなみタウン 参加60人
9月17日(日)監督を交えての学習会 長浜さざなみタウン 参加30人
10月16日(月)第1回実行委員会 
10月30日(火)第2回実行委員会
11月25日(土)連続上映会第1回上映会 臨湖 参加55人

 このあと、第2回が12月10日(日)臨湖、第3回が17日(日)湖北文化ホール、と続く。

 私(明定)は11月30日から大腸手術の件で再入院(人工肛門を閉じて腸をつなぐ)するため、年明けの第3回実行委員会までの後の2回はお任せで、ということになる。

 この映画については、いい映画だったので、関心のある人に見ていただきたいと思った、というあたりにあって、その良さをながなが書くまでは至らない。

第1回の上映にあたっての挨拶は以下のとおり。

この映画は、日本各地でシアター上映と有志の上映会を重ねておりますが、滋賀県内での公開上映会の取り組みは、今年度では長浜のみとなります。
映画は、部落差別の起源と変遷から、近年のネット差別を行う「鳥取ループ」示現社の活動、「私のはなし」としての部落と差別を描いております。
この国において人権問題の基本とされていた部落問題を、ともすれば過去のものとして、「寝た子を起こすな」と言挙げを拒む課題として、受け止める気分というものがあるのではないか、と思っていました。
また、20世紀後半の被差別部落や部落解放運動史の研究は、私の好奇心をたくましくさせてくれるものではありませんでした。
この映画は、そうした私を「こうあるべきだ」といった告発や、「ねばならない」といった啓発ではなく、「新しい場」へと引き寄せてくれる内容でありました。
 みなさんにとって、人権を考える新たなきっかけとなることを期待しております。

 とした。
 
 遠方からの参加者もあって、そのなかに郷里の加古川の2歳年上の先輩Nさんがあった。Nさんは障害者問題に深く関わっておられる。若い頃は部落差別にも熱心に取り組む人だった。

 部落差別についての「私のはなし」となると、あまりまとまらないのだけれど、被差別部落の同級生の記憶とか、図書館現場や図書館問題研究会での話だとか、いくつかのことが思い出される。なかなか書くまでには至らない。怠惰であるとか使命感が足りない、という批判が直接にあるわけではないので、なんとか生きながらえているというあたりだろうか。そうは言っても私自身も「非力の所為」であることには落胆している。

 退院は年末になるだろうから、先週、実家の整理に一区切りをした。来年はいまある物置の整理にはじまり、物置の解体、書庫・物置を兼ねての倉庫を建てる予定。
私の本や収集品は実家の玄関と長浜にあるので、新しい倉庫だか物置は弟の視聴覚関係の機器とコレクション(版画が多いらしい)などの置き場所となるのだろう。

以上まで書いてそのまま入院となり、12月17日(日)に退院となった。

術後の回復は日にち薬のようで、遅々としてはいるが進んでいる。
年末年始は長浜で大人しく過ごすことになる。

「和歌山県立図書館での部落問題関連資料の利用制限に対する問い合わせ」が藤本清二郎氏より図書館問題研究会にあり、図問研の回答は、「和歌山県立図書館利用制限資料」等の資料からして、「図書館の自由に関する宣言」を逸脱している、としている。

「和歌山県立図書館利用制限資料」に記載された資料は、公刊され一般書店等で購入可能なものもあり、他公共図書館においては閲覧、貸出を通常に行っているものも見受けられ、市民が部落問題研究や歴史を学ぶ際にも重要であると考えます。これらの資料にたいして閲覧制限を行うことは、藤本さんが言われるように図書館による「知る権利」「表現の自由」「学問の自由」の侵害、検閲、と言わざるをえません。資料の内容については図書館ではなく、利用者が判断しなければなりません。
また、部落問題は今も根強く残っていますが、昨今の教育や社会情勢から、支所の中には理解が薄く、歴史的な背景や人権を学ぶことも不十分な者が多くおります。今回の件は部落問題の本質がわからないまま、選書と制限を行っている悪例だと考えております。(「み」2023.02 p86)

その回答について、大阪の元図書館員の村岡くんが、みんなの図書館2023-10に「部落差別事象と図書館をめぐるあれこれ」を書いている。

この「回答」がとても表面的なところで◯✕式の二元論を申し述べていて、その事象の分析をしないままに「自由宣言」の文言を繰り返しているように思えた」(p23)という立ち位置からの文章であった。

紙であれ電磁的記録であれ、特定の地域が「被差別地区」であるという識別情報をどう扱うのかについては、図書館の自由宣言の複文の例外規定(「人権・プライバシー条項」)に関わることだ。
村岡氏は、部落差別の事実把握に「西と東の違い」とよぶほかない落差が生まれてしまっていた、と受け止めてもいる。
これについての意見交流が図書館界で活発に行われてきたとは言い難いが、村岡氏も書いているように、それは70歳前後の世代の「責」という意見もあるだろう。「責」ある当事者の如く括られて戸惑うわけではないが、ひとこと付け加えるなら、図書館という世界だけで論じられる問題ではなく、部落問題、部落解放運動と離れて成り立つわけにはいかない問題でもあるのだと考える。
では、どう考えるのか、と問われたら、風呂敷は大きくなるばかりでまとまりそうにはないけれど。

2023年12月24日