巳年睦月雑記2 250118

明後日は児童図書館研究会滋賀支部の新年会が近江八幡であり、退会したが参加することにした。現職のころ、大学に通っていた頃は忙しくて、長らく機会がなかった。気持ちにゆとりができたのか、予定に振りまわされることが少なくなったからか、今年は参加することにした。
児童図書館研究会(以下、児図研)には30歳代の成田図書館時代に運営委員として関わっていて、当時、東京子ども図書館で常務理事をしておられた佐々梨代子さんと、会計や組織の規約改正に関わっていた。
児童サービスの1980年代は、「良書主義」だった児図研が「子ども中心」に軸足を移動する時期であって、それについては裏方として働きもした。「乳幼児サービス」は定着したが、「9~10歳の壁」という発達の課題については、力不足で今日に至っている。幼年文学と(いわゆる)児童文学の違いについてなど、児童文学批評の場ではこの2~30年の間で論じられてきたのだが、児童サービスの場ではまだまだの感があるのは、発達心理学についての関心が薄い「本派」の人が多いからではないか。
「本派」と「子ども派」という図式は、タウンゼントの児童文学論「子どもの本の歴史」(1965、邦訳1982)に出てくるが、当時の児童サービスにはあまり影響を与えてはいない。

高月に転じた年に、私より少し年上の関西の図書館問題研究会(以下、図問研)の活動家が数名、高月の近くの須賀谷温泉で、明定君も来たことだしということで一泊の宴会を企画したのに、私、明定が参加したことについて、当時の前川恒雄県立図書館長から、そういうことは慎むように前から注意をしていたのに何ということだ、と叱責された頃からだと記憶している。歓迎会というほど大げさではなく、親しい内輪の会にから声を掛けられたとしか思っていなかったので、この程度のことを「慎む」ことへのとまどいは残った。
38歳の私は、児図研の運営委員でもあったし、図問研でも活動をしていたので、図書館界のなかで全国的には知られている方だった。前川氏としては、私より少し年長の滋賀の図書館長たちより、わが身を「慎む」を心掛けよ、ということだったのだろうし、先輩諸氏よりも他人から大きく扱われることは避けよ、ということだったのだろう。
後々の前川氏の私に対する人格批判はその頃から始まっていた。「滋賀県の図書館づくり」とやらに泥を塗るような図書館長であったのだ。
成田から滋賀の高月町に転じて、当時の県立図書館長のご助言に従わず、児図研滋賀支部を組織した。これも苦虫を噛んでいたことだろう。学校へのサービスを始めたことも同様であろう。
とはいうものの、児童サービスの全国レベルだったか近畿ブロックだったかの研究集会では、児図研の会員に関わらせていたし、学校との連携も高月町が取り組んでいることで後塵を拝すことにはならなかったと思う。県教育委員会と教員向け「絵本の読み聞かせ」講座を立ち上げたことがあったが、これを支えるスタッフの軸になったのは児図研の会員だったことも書いておきたい。

昨年の図問研の全国大会は日立であった。旧知の大畑姉さんから電話があり、参加を求められたので、これといったモチベーションもなく参加した。塩見昇さんのお話を聞く交流会があったので、塩見さんに森崎震二についてどう思っているのかを聞いた。話のなかに、若い人材に目をつけるのに長けていた、とあった。
私が日共批判派であることは若い頃からはっきりとしていたにも関わらず、図問研などのいわゆる容日共の活動家と付かず離れずにおれたのは、森崎さんの容認があったせいでもあると思っていたので、塩見さんからアンタもその一人やと言われたように受け取った。
たくさんの人のいるなかで、森崎さんが「明定さん」と声をかけて「あの取り組みはよかったね、もっと発言してほしい」などと周囲に聴こえるように声を張って言っていたことを思い出す。また、森崎さんと氏が高く評価していたTさんと図問研の事務局長Nさんと私の四人で、偶然ですが、呑む機会があった。Tさんと私が西村寿行の話などで盛り上がったせいだと思うが、森崎さんは、君たちは意見が合うんだ、と大いに痛飲され、珍しく酔っ払われた。「意見が合うんだ」にはTさんも私も即「そんなことはないです」と返事した。そのとき以外、Tさんと私は親しく話すことはないのだが。

森崎さんや児図研の小河内芳子さんなどは、ご自身の考えとは違っていても「器量の大きい」人たちであったと思う。あの方もいるではないか、とほかにも挙げられるだろうが、組織ということに関わっては、このお二人は大きな存在だったと思う。

きたやまおさむ「『むなしさ』の味わい方」読了。
カバーの折り返しに、

自分の人生に意味はあるのか、自分に存在価値はあるのか……。誰にでも訪れる「むなしさ」。便利さや快適さを追求する現代では、その感覚は無駄とされてしまう。しかし、ため息をつきながらも、それを味わうことができれば、心はもっと豊かになるかもしれない。「心の空洞」の正体を探り、それとともにどう生きるかを考える。

とある。
このところ、「むなしい」という感覚から遠く離れている。読んでそう思った。予定を詰めて「むなしさ」から逃げているのだろう。「むなしさ」に心を閉ざしている。
「むなしさ」を無駄とは思わない。わたしにも「むなしさ」は訪れる。「孤独」としてやってくる。「もういいかい なあだだよ」と心のなかで対話する。
そしてまた「心が豊かになる」なることにひねくれている私がいる。

明日は加古川で合唱の練習。身体を「合唱」にあずける。これも無駄といえば無駄でもある。「心の空洞」を埋めることにはならない。

2025年01月18日