「探求(未知の世界)への誘い」岩瀬直樹(図書館雑誌2021.12)残日録220213

「学校全体が大きなライブラリー――軽井沢風越学園の子ども主体の探求を形にした学校建築」からの一部引用(P756)

 風越のライブラリーの特徴の一つは2階へ続くスロープの「探求エリア」だ。問いが生まれると一人であるいはスタッフと一緒にここへ向かう。『もしも原子が見えたなら』の読み聞かせから原子・分子に興味を持った4,5年生6人は,「原子・分子プロジェクト」というマイクロプロジェクト(個人探求)を)始めた。「原子って何種類あるんだろう?」「世の中,全部原子でできているっていうけど,鉄とかも?」読み聞かせを景気に問いが次々に生まれていく。「俺,どこに原子の本あるか知ってるよ」という科学好きの5年生に連れられて「探求エリア」の書架に向かうと『世界で一番美しい元素図鑑』に出会い,みんなでのぞき込む。「これめっちゃきれい!」1冊の本をあれこれ指差しながら自然と対話が生まれていく。「写真みたいながあるけど,どうすれば目で見えるんだろう?顕微鏡?新たな問が生まれ再び書架へ。」探求が駆動したときにすぐに手を伸ばせる環境なのだ。
 風越のカリキュラムの軸は「テーマプロジェクト」と呼ばれる教科融合の探求である。その特徴は,以下の六つである。1)年齢の近いグループでスタッフ発信のテーマに取り組む,2)理科・社会を中心に多様な教科・領域を横断しながら深める, 3)自分なりの問いを立て,自分なりの答えを求めて探求する, 4)多様な探求方法や発信の方法を考える, 5)共同して取り組む, 6)学校外のリソース(人的・物的共に)活用する。子ども一人ひとりの「~したい」を大切にしながら,学ぶプロセスで本物の人に出会ったり,実社会につなげていくことを目指し,そこで得られた学びを他者と共有して深めていく。週6時間設定されているテーマプロジェクト。前述のマイクロプロジェクト合わせると,週時数の半分近くが探求である。探求を支える空間の中に常に見を置き続けられるのが風越ライブラリーだ。環境が探求を常に応援し続けている。学校図書館を「目的を持ってわざわざ行くところ」から,「日常を過ごすところ」への転機なのだ。時には,偶然にある本に」出会うことも起きるだろう。そのためには選書が重要である。子どもたちに出会って欲しいと願いが込められた本,子どもたちの知的欲求にこたえる本が並べられているか。司書教諭を中心に3万冊を超えようとする幅広い蔵書を丁寧に整えていくことが,その偶然の質を高める。スタッフにとってはライブラリーはプロジュクとのアイディアに出会ったり,設計・実践するための豊かな資料に出会う場所でもある。大人の学びも支えているのだ。(以下略)

軽井沢風越学園は2019年10月31日設立。岩瀬直樹氏は学園の校長であり同幼稚園の園長である。埼玉県の公立小学校勤務後、東京学芸大大学院准教授。著作多し。
理事長は楽天の前身であるエム・ディー・エム起業に携わり取締役として楽天市場をつくりあげ、1999年取締役副社長になった仁。2005年に退社、同年4勝ちから横浜市立中学校の校長になる、とういう経歴を持つ。

私立の一貫校はこういう新しい取り組みができるところが良いとこだ。しかし、授業料が払えるか払えないか、で生徒が均一化するので、生徒に多様性がない。
世間に出たとき、戸惑うかもしれない。上級国民は一般人との出会いは少なくなっていくのかもしれないけれど。
募集人員を見てみると、
・幼稚園:男女計24名
・小学1年生:男女計35名(2~6年は若干名)
・中学1年生:男女計15名
である。
教育環境の格差によって、社会が階層化するのだろうか。

岩瀬はブログで仮説実験授業のことにふれている。

初任からの5年間の、どっぷり仮説実験授業を学び実践した。今思い返すと、初任からの5年間は、豊かなコンテンツの土壌の上でファシリテータートレーニングをしていた毎日だったのだと思う。
ではなぜ離れたか?それは後にファシリテーションを軸としていく自分の変化にも繋がっている。そういえば同僚の渡辺貴裕さんに、
「もし仮説実験授業に出会っていなかったら、今の岩瀬さんはありませんか?」
と聞かれたことがある。
どうだろう。けっこう本質的な問いでまだ答えられずにいる。おそらく今のぼくはないんだと思う。
それにしても子どもたちの討論から仮説が立ちあがっていくやりとりには聞き惚れたなあ。ここに来て社会構成主義を勉強しているんだけれど、実はあのときの聞き惚れた討論に原点があったりする。
ではなぜ仮説実験授業から離れていったのか?
端的に言えば以下。
①仮説絶対主義的な側面がある。他教科への安易な展開や、仮説さえやっていればいいというような言説。つまりは方法の絶対化。
②教師と子どもの授業書への過度な依存。授業書の質が高いだけに、授業書そのものへの疑いを持たない。このような姿勢は、巧妙な「授業書もどき」を作れば思考や価値観を操作できる危険性をはらんでいる。これは仮説に留まらない大きなリテラシーの問題。
③問いはいつも「降ってくる」ことへの違和。カリキュラム上の自由度の低さ。
とはいえ、今なお仮説実験授業の価値は高いと考えている。
仮説実験授業の豊かな蓄積をぼくたちはどのように継承していけばよいのか。
仮説における「楽しさ」の価値とは?
改めて検討したい。なんせ5年間、脇目もふらずに学び尽くしたことが大きかった。
5年やり続けると強みになる。

仮説実験研究会の会員でもある私も、「仮説さえやっていればいいというような言説」には抵抗感があった。そう言いながら、教師としてのいくらかの配慮はしているのだろうが。「巧妙な「授業書もどき」を作れば思考や価値観を操作できる危険性をはらんでいる」については、板倉氏亡き後でも授業書の改訂が重ねられているので、あまり気にならないことではある。ただ、「授業書もどき」が生まれなかったわけでもなかったと思う。それは露骨に批判されることはなかったが、時間を経るうちに自然淘汰されるのだ、という経験知もあってのことだ。

2022年02月13日