元図書館員が仮説実験研究会の一会員を継続すること 残日録230416 

図書館員⇒大学教員として関わってきた図書館関係の研究団体から、齢70歳にして、全て退会した。小さな業界内の表立たないいわゆる「裏話」を少しは知っていたり、なかには私自身が「裏話」に関係していたりすることもある。そういう話でもって「晩節を汚す」御仁もいるので、そうはならないように図書館業界から退出した。
4月になれば毎年、仮説実験研究会の会員を継続するかどうかをはがきによって問われる。問われることにより自問する機会が生まれる。継続することにためらいはなかったが、今年は少し様子が違っていた。図書館から去るのに、なぜ継続するのか、と問われることはないだろうが、自分にとっての節目のようだから、書いておくことにした。
三浦つとむ、武谷三男、板倉聖宣を知ったのは、大学に入学したての18歳の頃だった。実際に研究会と出会うのは20歳で、夏に小樽であった大会に参加した時だ。仮説の会員になったのは、その数年後のことだ。
学生時代は月2回の四條畷のサークルに参加していた。サークル名は「関西仮説実験研究会」であったが、後に「ゲジゲジサークル」と改称した。図書館に就職したあとも、20歳代は大会に参加していたように思う。20歳代半ば頃、ガリ本(ガリ版刷りの手製本を研究会ではこう言っていた。今はワードなどで作成)授業記録を読んで、授業を楽しく追体験できるようになり、ようやく「仮説」を身近に感じることができた。
「ゲジゲジサークル」ではいろんなことが話されていて、聞いていて学ぶことが多々あった。繰り返されたのは「板倉先生が亡くなられたら」「授業」や「研究会」はどうなるのだろうか、だった。展望は見えてこないのだが、つぶやきのごとくよく出された。
広島での大会への感想で、ある会員の講演について「仮説を神棚に祭り上げて拝む」ごとき話はとんでもない、と言った意味のことを書いたことがある。広島のサークルで話題になっていたようだった。「そういうことを言ったのではない」というのだ。私としては「仮説実験授業」を受けることで、受けた人の「生き方・考え方」がどう変わるのか、変わることで何が生まれるのか、変わるためには何が課題なのか、といったことに関心があったので、「仮説の素晴らしさ」に終始する話は「神棚に上げる」話でしかなかった。

岩瀬直樹氏のブログ(2023.1.6)から「仮説実験授業から学んだこと」(抜粋)で、岩瀬氏は仮説実験授業から学んだことを具体的に6つあげている。①~⑤略。

⑥楽しければ人は学ぶ。
ここで言う楽しいは「おもしろおかしい」ではない。板倉は「たのしさそのものが目的」と『科学と教育のために』の中で喝破し、当時は「楽しいだけでいいのか!」と批判もされてきたが、板倉の言う楽しさは、“科学者とは利己的でなく「自分の働きで他人をたのしくさせたい」という社会的な動機付けに促されながら「問題―予想―討論―実験」という「楽しい科学の仕方」を駆使する存在であり、科学者が研究しているように教えればたのしくなるはずであり「楽しくならなきゃ科学に対して罰当たり」。
つまり「たのしさ」とは科学的概念や法則に裏打ちされた「知的関心」のことで、そのたのしさには知的緊張も努力も当然伴う。このことの価値は離れてずいぶん経って(わりと最近)、ようやく実感できた。

⑦・・・・
とまあ、あげればきりがないがこれらがぼくの土台を形作っているようだ。今思い返すと、初任からの5年間は、豊かなコンテンツの土壌の上でファシリテータートレーニングをしていた毎日だったのだと思う。
ではなぜ離れたか?それは後にファシリテーションを軸としていく自分の変化にも繋がっている。そういえばかつての同僚の渡辺貴裕さんに、
「もし仮説実験授業に出会っていなかったら、今の岩瀬さんはありませんか?」
と聞かれたことがある。
どうだろう。けっこう本質的な問いでまだ答えられずにいる。おそらく今のぼくはないんだと思う。
それにしても子どもたちの討論から仮説が立ちあがっていくやりとりには聞き惚れたなあ。ここに来て社会構成主義に関心をもっているんだけれど、実はあのときの聞き惚れた討論に原点があったりする。

ではなぜ仮説実験授業から離れていったのか?
端的に言えば以下。

①仮説絶対主義的な側面がある。他教科への安易な展開や、仮説さえやっていればいいというような言説。つまりは方法の絶対化。

②教師と子どもの授業書への過度な依存。授業書の質が高いだけに、授業書そのものへの疑いを持たない。このような姿勢は、巧妙な「授業書もどき」を作れば思考や価値観を操作できる危険性をはらんでいる。これは仮説に留まらない大きなリテラシーの問題。

③問いはいつも「降ってくる」ことへの違和。カリキュラム上の自由度の低さ。

④教材研究できない教師をつくりかねない。

とはいえ、今なお仮説実験授業の価値は高いと考えている。その後ボクは、「授業書」が「縛り」に感じられて緩やかに離れることになりました。

また岩瀬氏は「『たのしくなくってわかる授業』って?」(2015.10.19)でも、

「授業書絶対主義」だとボクは感じたのです。
子どもたちが夢中になればなるほど、
「巧妙に子どもを誘導するような授業書を作ったら洗脳のようなことができてしまう危険性があるのではないか」
ということに危惧を覚えたのです。当時ボクは若いエネルギーと正義感に溢れていました。20代半ばですから。
でもこれはファリシテーションでも同じような危険性を孕んでいると思います。
話がそれました。

と書いている。

中一夫さんは講演で、板倉さんには「仮説実験授業の思想」と「楽しい授業の思想」という2つの世界があるという話をされていた。そして後者のほうが大きいのではないか、と言われた。
岩瀬氏の「授業書絶対主義」批判は「楽しい授業」で乗り越えられたのか。
岩瀬氏が「仮説実験授業から離れていった」理由に対して私はどう答えるのか。
一会員として会費を払っていたとしか言えなくもないが、板倉さんから学び、図書館の場で実践してきた者として、考えをまとめるのも宿題の一つであると思う。

2023年04月16日