「大阪心療内科放火事件に思う」野田正彰(「紙の爆弾」2022.8)残日録220801
巻頭に「『心療内科』が抱える闇」とあり、
昨年十二月十七日、大阪キタの繁華街・北新地の雑居ビルに入居する「働く人の西梅田こころととからだのクリニック」で二十六にんもの人が亡くなった放火事件。「拡大自殺」とされる、放火を実行した男性患者の動機に注目が集まったものの、事件の背景が明かされたとは言いがたい。常軌を逸した人間が起こした惨事というだけでいいのか。彼は現場となった「心療内科」クリニックで治療を受けていたはずだ。また、メディアの報道は亡くなった院長の親身な診療ぶりを伝えるが、クリニックには六〇〇人とも八〇〇人ともいわれる患者が通っていたと言う。
クリニックでどのような医療が行われていたかに専門的な知見から迫ったのが、精神科医で作家の野田正彰氏だ。野田氏は朝日新聞の有料サイト「論座」の担当者に依頼されて二回分の論考を執筆したが、ページレイアウトもほぼ終えた公開直前に、編集長から「公開見送り」が通告された。朝日新聞はなぜその判断を下したのか。編集長から野田氏に伝えられた説明は、首をひねらざるをえないものだった。なお、事件にからみ、「全裸監督」として知られる村西とおる氏はブログで、心療内科を受診したことをきっかけに「ジャンキー(薬物中毒)」となった体験を明かし、野田氏はそれを引用していたが、「論座」はその内容も掲載拒否の理由のひとつに挙げている。
今月号では、」「論座」がボツとした論考を掲載するとともに、「論座」不掲載事件の不可解な経緯を検証した。そこから見えてきたのは、二〇〇〇年ごろから現在も日本に急増する「心療内科」の闇とマスコミタブーだった。
と記されている。
野田氏は「新聞報道があえて逃げた二つの問題」として「通院患者の数」と「リワーク(職場復帰支援プログラム)」を取り上げている。
「通院患者の数」
約六〇〇にんから八〇〇人の患者を診ていた、と各紙に報道されている。精神科の診療は通常週一回、二十~三十分ほどの精神療法を行うことになっている。だが、現実では月二回が多い。それを週五日(月二十日)、午前も午後も休まず診療していたとして、600人✕2回/20日=60、一日六十人の診療を行わなければならない。初診の患者には最短三十分~一時間かかる。たとえ一人一回十五分かけるとしても、60人✕15分=900分(15時間)。どんなに考えても、精神医学的診療を一瞬の休みもなく十五時間/日、続けることは不可能である。
(略)
診療室の扉を開け、椅子に座り、医師と挨拶するまでに約一分はかかる。医師は前回の診断記録を頭に入れ、新しい話を聴き、助言し、薬を処方するのに残り四分。多くの日本の精神科外来の現状では、「どうですか」「別に変わりありません」「そうですか」程度で終わっている。だが、これでも、再診料に加え精神科療法料三三〇〇円が取られている。患者は三割または一割(老人)の負担、担当医師に精神障害者の届けを書いてもらっていれば、さらに様々な負担軽減が付け加わる。
これが精神科医療の実態なので、大阪の当該クリニックが六百人の患者を診ていたとしても、日本の常だ。異常ではないが、不思議である。ほかにも、異常ではないが不思議なことが精神科医療には常である。
たとえば心療内科という診療科目は、精神科で受診するほどでない軽い心の悩みを診療する所と、日本では誤用されている。マスコミもその誤用を常識に定着させて来た。実は、心療内科とは、精神的ストレッサーによって起こる身体臓器の病気(たとえば胃潰瘍や心筋梗塞など)を治療する内科領域の専門科名である。医学部では心療内科の教室を持っている所はそれほど多くない。にもかかわらず、どこから心療内科の専門医が湧き出てきたのだろうか。しかも、心療内科領域の病気ではなく、うつ病などの精神疾患を治療していることになっている。
「西梅田こころとからだのクリニック」の院長は、医大卒業後、内科医として働いていたが、六年前に精神科医となったと報道されている。精神科医になるには通常、四~六年の臨床経験を必要とする。内科医が中年になってから精神科医に転科したのなら、よほどの研鑽を積まれたのであろう。 六百人もの患者を診療する心療内科、私には不思議に思えることばかりだが、日本社会では異常(常でない)ではない。精神科・心療内科にかかわる医師・看護師・臨床心理士・ソーシャルワーカー・薬剤師・保健所職員・厚生労働省・製薬企業。皆が、患者のために良いことをしていると信じているようだ。さらに、大新聞、NHK、医療出版社が上記の現実を肯定し、推奨して来た。ただ、病める人びとだけが振り回され、多くの人が投与された向精神薬の副作用に苦しんできた。医療の対象となる人びとの意見は聞かれず、患者を取り巻く職業人の善意のみが評価され続けている。(p38~39)
「リワーク(職場復帰支援プログラム)」
当該クリニックに通っていた患者の多くは「発達障害」と報道されている。このあいまいな伝聞に立って、「クリニックがなくなり、薬が入手できなくなると、発達障害の人はうつ病になる」といった精神科医のコメントが新聞に載っている。他方、本屋に行くと「発達障害」「大人の発達障害」関連の本が本棚を埋めている。「一五〇万部出版」「大人の発達障害は二人に一人」と宣伝する本まである。それならば精神科医の二人に一人も発達障害かもしれない。発達障害の医者が発達障害を診断しているわけか、と妙に納得したくなる。
だが、発達障害は脳の病理が発見された疾病ではなく、近年に単に概念として提出されただけのものだ。すべての医学的根拠がなく、泡のように饒舌で飾られているに過ぎない。幻の病気ゆえに、薬によって治るものではない。
このような曖昧な論説の上に、当該クリニックでは多くの患者がリワーク(rework
=やり直す)なるものを受けていたと報道されている。ところが、リワークとは何かを調べた解説はない。かつて、職場復帰支援プログラムとして提起されたものが、片仮名に替えて精神医学的商品化されたのである。
職場環境などのため出勤が辛くなり、精神科クリニックを受診。抗うつ剤や精神安定剤、入眠剤を飲まされ、長期間休職をする。(薬の副作用が酷くなければ)長く休み職場の負荷から離れたため落ち着いてくる。だが、そのまま元の職場へ戻ると、再び不安・不眠・抑うつ・食不振などの症状が出て通勤できなくなる人もいる。そこで、精神科的リハビリテーションとしてのりワークを勧められることになる。
日本の精神科で行われているリワークなるものは、個々の患者への行動療法のひとつである本来の認知行動療法とはまったく違う、自分の性格特性、完全癖や几帳面さなどを皆の前で話し合う「集団認知行動療法」なるものに偽装されている。ほかに自分の性格についてレポートを書かせたり、ロール・プレイをさせたり、Social
Skill Renovationと称する空気を読み周囲に合わせる訓練を受ける。これらは、臨床心理学の様々な技法のごた混ぜであり、「自分探し」集約させて行く。
(略―二つの事例が紹介されている)
精神医学とは、個人の心理的問題と社会状況との関係を分析し、患者と共に、少しでも幸せに生きていく道を見つけいく学門である。そのためにも、現状の社会がどう変わっているのか、各職業、企業経営の変化、その中で働く人びとの精神状態について、十分な知識を持たねばならない。診療所で心理的ゲームを綺麗にデザインすることではない。
うつ病の五分間診療、多剤漫然投薬、発達障害の過剰診断、支援学級の急増などによって、それにもかかわらず、立ち直っていく人もいるだろう。だが、精神医学の治療法の歴史は魔術的思考の歴史であり、どれだけ多くの患者が苦しめられてきたか、今も苦しんでいるか、決して忘れてはいけない。
呪文でも、聖なる水の処方でも、良くなる人はいる。良くなった人の強調よりも、その医療の啓蒙宣伝によって苦しんでいる人がなんと多くいるか、出かけていって調べ、知らなければならない。
情報社会の精神科医は、患者が生活している、診察室の外の世界がどれだけ変化しているか、同僚精神科医たちとの利益のあげ方への関心以上に、学ばねばならない。(p41~42)
この論考のあとに、浅野健一「野田正彰論考を朝日新聞「掲載見送り」の裏側 「心療内科」はマスコミタブー」が掲載されている。