『〈女流〉放談 昭和を生きた女性作家たち』イメルラ・日地谷・キルシュネライト編 岩波書店 2018.12



 編者が1982年に日本の女性の作家たちにインタビューした、そのインタビューが活字となって2018年に刊行された。

 当時の私は司書人生の駆け出しの頃であって、小説を読むことが少なくなっていた。児童文学を読まなければならなかったし、縁のなかったエンターテイメントの作品も読む必要に迫られていた。これらの作品は面白く興味深いものが多く、そういった読書に時間を割いていた。

 この本に登場する12人の作家については著名な人たちばかりで読む必要を感じなかった。

 佐多稲子については中野重治との関係からいくつか読んでいる。

 円地文子は教科書で随筆を読んだ程度。

 河野多惠子、石牟礼道子は読んでいない。

 田辺聖子、三枝和子、大庭みな子、戸川昌子、津島佑子、金井美恵子、中山千夏、瀬戸内寂聴は読んだ記憶がある。

 その程度である。

 ドイツ人の若き日本文学研究者が同じ質問を作家たちに投げかけている。

 「男性の評論家から公平に、客観的に扱われていると思うか」「(男性の)評論家が『女性作家の作品は、どうも私には完全に読んで理解することが不可能だが』と書いているのをどう思うか」「女性作家には、家庭の雑事があって時間を取られるだけでなく、出産というものもあるので、仕事に集中できない。これをどう考えるか」といった質問である。



 佐多稲子への質問のなかから

――女性は政治に関する関心や働きかけが弱いとよく言われますが、佐多さんは文学が政治的、社会的なテーマを書くべきだとお考えですか。

佐多 必ずしも直接に、政治的、社会的なテーマを書くべきだとは思っていません。プロレタリア運動から政治へ移った人もいましたけど、政治と文学の世界はまったく異なったものですからね、あまりそれに密着しすぎるのも問題だと思います。でも、政治的、社会的な視点などが作品に流れ込んだり、その土台となるようなことは、当然だとおもいますね。文学者だといっても、やはり民衆の一人なのですから。

20190421

2021年01月09日