残日録24 月刊誌「噂」の井上靖 

 梶山季之が責任編集した月刊誌「噂」1973年10月号の表紙の特集名は「〝文壇大御所”の内幕」。そこに井上靖も登場する。他には、佐藤晴夫、川端康成、丹羽文雄、舟橋聖一。目次の特集名は「文壇大御所になるための条件」

 

井上靖  マスコミから財界までを手中にして

 文壇人としての井上靖の歩みを、点で結ぶと次のようになる。

① 文壇へのデビュー作「猟銃」を、尊敬する佐藤晴夫氏宅にとどける。佐藤春夫に認められ、多少の回り道があったが『文学界』二十四年十月号に掲載。十二月号の、「闘牛」で芥川賞受賞。

② 舟橋聖一氏主宰の「キアラの会」(前出)同人になる。

③ 〝丹羽ゴルフ学校〟入学。(これまでも丹羽氏のことは編集者と話すときも「丹羽先生」と呼んでいた〉

④ 日本ペンクラブの理事になる。高見順氏が病気がちなので、その代役として、伊藤整氏とともに川端康成会長を助ける。

 

 ある文壇誌の編集者に言わせると、

「ほんとうに、うまい具合になっていると思うな。歩き方にムダがひとつもないんだ。しかも、作家としてはもちろん、人物としてもひとかどのものがある。どこへ行っても点数が高いんだ。点数が上がったからといってけっして出しゃばらない。」

 〈略〉

 井上氏の影響力が、財界首脳にまで及んでいることも見逃せない。川端氏亡きあと、財界から金をかき集められるのは、文壇ではこの人以外にいない。ただし、いかにも文壇人らしく、そんな能力があることは、素振りにも見せない。

 芥川賞受賞が二十四年、芸術院入りが三十九年、「先生」と呼んだ丹羽文雄氏より一年早い。いまや、文壇の〝新大御所〟として、何ものにも動じるふうがない。この秘密はどこから来るのか。

 ある編集者は、次のように解説する。

「新聞記者をやっていたから、文壇とかジャーナリズムの機能をよく呑み込んでいたんですね。作品の発表の仕方を見ても、それがわかる。文芸評論家ふうな〝孤独な男のなになに〟だどという言い方を抜きにすれば、こういうことです。まず「黒い蝶」「射程」「氷壁」などの通俗小説と「戦国無頼」「風林火山」などの大衆小説で、時間をかせぎ、大衆的人気をあおった。そこで余裕ができるとこんどは「敦煌」「楼蘭」で、芸術化への小手調べをする。その手応えがあったので、あとは、つとめて通俗性を避けて、芸術性を強調した。その芸術性については、問題があるはずなのですが、いまは、論議するには、遠くへ行きすぎています。おそらくこれから、まだまだ、変わると思いますよ。」

 

 そう、まだまだ変わっていきますよね。

 原爆や空襲で、弔われるべき人も弔うべき人も亡くなった時、その死は「殯」の時間すら与えられない。そのことを、琵琶湖で水死した遺体が見つからない時間をどう殯していくのか、という物語に転化させて経糸とし、民衆の信仰の在り様を横糸にした物語が『星と祭』だろうと読んだ。

 

2018年08月27日