皐月雑記1 「朝ドラ」  残日録240302

「波」2024.01の北村薫連載「本の小説」に、吉増剛造が「朝ドラ」を観ていることについて書かれていた。前月号で吉増が観ているまでは読んでいた。この号では冒頭から、といっても「(承前)」ではあるが、何を贔屓にしていたかが書かれている。

 吉増剛造先生は、ちょっと考え、
 ――『ちりとてちん』です。
 いいなあ……と思いました。吉増剛造の口から出る、この響き。
 それ以来、わたしは朝ドラを録画し、観るようになりました。(p80)

 北村薫は吉増が「朝ドラ」を観ていることを驚いているが、私もそれを読んで驚いた。
そのうえに、『ちりとてちん』とは、これは私にとって事件だ。「朝ドラ」のなかで、私も好きな作品なのだ。

ウィキから「概要」

これまでの朝ドラヒロインにありがちな「持ち前の明るさで、困難を乗り越えていく前向きな主人公」とは180度異なる、心配性でマイナス思考のヒロインが大阪で落語家を目指す姿を描く。舞台となるのは福井県小浜市と大阪府で、福井県が朝ドラの舞台になるのは初めて。これにより、中部地方の全県が朝ドラの主な舞台地となった[5]。貫地谷しほりが演じる主人公・和田喜代美(わだきよみ)/後の徒然亭若狭(つれづれていわかさ)、和久井映見が演じる母・糸子(いとこ)、青木崇高が演じる喜代美の兄弟子で後に夫となる徒然亭草々(―そうそう)を中心に、個性豊かな登場人物によって繰り広げられる喜劇仕立ての青春コメディーである[6]。
物語の大きなテーマとなるのは「伝統の継承」。落語と塗箸家業を題材に主人公の父や祖父のような塗箸職人(塗箸は小浜市の名産品である)や、主人公が入門する落語家・徒然亭一門(架空の亭号)など、伝統を受け継ぎそれに従事する人々の姿が描かれる。それに関連したもう一つのテーマは「落語」。本ドラマは主人公が落語家を目指すというものであり、劇中では登場人物が実際に落語を披露するシーンがある(出演者の中には、本職の落語家もいる)。さらに、落語を元にした演出、有名な噺の解説、本編出演者による噺の再現ドラマ(劇中で噺の内容を解説するときに挿入される小芝居)などがふんだんに盛り込まれており、落語通はもちろん、落語を全く知らない人でも楽しめるような作りになっている。ちなみに、ドラマの登場人物の名前の多くは、落語の登場人物から取られたものである(詳しくは後述)。
ドラマには緻密な伏線が張り巡らされており、劇中のさりげない台詞や小ネタが後の重要な場面につながっていくことも多い。さらに、単なる賑やかしの脇役と思われていた人物が、予想外の場面で物語の鍵を握っていることもある。また、年末最後の放送で初めて互いの愛を確かめ合った喜代美(若狭)と草々が、新年最初の放送で何の前触れもなく結婚式を挙げる(OP後の本編に、いきなり喜代美が白無垢姿で登場する)など、時には大胆な展開を迎えることもある。(後略)

 視聴率は大阪制作のなかで当時最低だったそうだが、DVDの売上は過去最高だったそうで、話題になりにくかったがコアなファンがいたことを推察させる。
 落語家役の渡瀬恒彦がよかった。福井出身の五木ひろしの「ふるさと」を和久井映見が応援歌のように歌うのが記憶に残っている。加藤虎ノ介の衣装が「波達」の和モダンで、気に入ったので自分でも着ていた。(「朝ドラ」ではないが、渡・渡瀬兄弟の『あまくちからくち』もあったなぁ。面白かった。)
 わたしの記憶に残る「朝ドラ」を書く。
『心はいつもラムネ色』はモデルが漫才作家秋田實。長沖一との友情が上品に描かれているのが嬉しい。関西の演芸業界の歴史をどう作品にするのか、芸人の引き抜きや戦時中の主人公の「転向?」をどう描くのかに興味があった。
『凜々と』はテレビジョンを発明した川原田政太郎がモデル。技術開発に夢中になる主人公と戦争になだれ込んでいく世相、主人公の妻郁の兄が失語症になるなど、戦前の理系社会の心性を描いて秀逸。(理化学研究所を舞台にした「朝ドラ」もあるといいなあ。田中角栄が端役で登場して兵役逃れをしたり、富塚清が「科学で戦争勝利」を力説したりして。)
『おちょやん』は浪花千栄子がモデル。これについては、堀井憲一郎「なぜ『おちょやん』は朝ドラ屈指の名作となりえたのか その壮大な構想を検証する」を見よ。です。
番外に『ちむどんどん』。視聴者の批判が多かった作品である。登場人物を沖縄人のステレオタイプとして見れば、おおらかさもあって、沖縄人あるある、かもしれないのだが、そういうふうにアナウンスすると偏見と受けとめられるのかもしれない。『ちゅらさん』とは違ったアプローチではあった。視聴者に違和感があったのは、本土人の浅薄な「沖縄人」像が背後にあるのではないか、と思う。琉球王朝の宮廷文化は芸能や工芸として継承されているが、支配された側の民衆の暮らしについて本土人はほとんど知らない。短絡して言うと、封建時代の身分制度を経ていないので、民衆の文化の形成が未発達なのではないだろうか。そういう歴史と、二度に重なる琉球処分のもとでの沖縄人、という時間軸から形成されるパーソナリティーへの想像力が、視聴者の私たちに足りないと思う。『ちむどんどん』は観ていて複雑な心境になった。

2024年03月02日