『ウイリアム・モリスのマルクス主義』大内秀明.平凡社.2012 残日録210810

モリスというと民芸に影響を与えた社会主義者という印象があり、『ユートピアだより』という書名からして、空想的社会主義者という先入観を持っていた。
科学的マルクス主義は「マルクス→エンゲルス→レーニン」の国家社会主義的な流れとは別に「後期マルクス→モリス」という共同体社会主義的な流れがある、ということをこの本で知った。
モリスはフランス語版の『資本論』(マルクスが書いた第一巻のこと)を熟読して、科学的社会主義の理論を学んだ。初期マルクス・エンゲルスの唯物史観は作業仮設であって、後期マルクスの『資本論』においては事実上放棄されていた、と大内氏は指摘している。宇野(弘蔵)派の大内氏は「科学としての経済学にこそ『資本論』の偉大さがある」として、革命のアジテーションとしての史的唯物論を避ける立場である。
モリス+バックス『社会主義——その成長および成果』から、モリスの社会主義を紹介している。

八時間労働制にせよ、最低賃金制にせよ、改良主義の闘争には限界がある。と言って「当然のことながら我々は、土曜の夜には資本家的だったものが、月曜の朝には共産制国家の太陽が昇るような存在になる」という、そんな一挙崩壊型の権力奪取の革命主義はとらない。従って、移行過程が重要になるわけです。「様々な計画が提示されている。これらは経験によってテストされることになるが」、たとえば文献や自治の強化、「現政府による軍や教会区の形成を準備する法案は、まだ力が小さいけれども、重要なステップになる。民主的な機関の提供が、社会主義の目的に将来利用できる」。つまり、革命は段階的に進むし、人類の理想に向けて、永続的な変革になります。
ただ、近代の官僚国家については、社会主義者の間に見解が分かれている。両者の見解は「究極的対立ではないが」、一方は、移行期間、若干の政治組織を維持する見解であり、「新しい社会も、古い官僚国家の政治傘下でそれ自身発展する」と見ている。他方は、「国家体制を、より基本的な要素として成功的に扱うことはできない」と見る、モリスたちの見解です。近代国家の官僚制は、国際的には連邦制により、それを死滅させるべきだし、また、地方的には、分権自治の強化で、政治的国家の外堀を埋めるべきだ」、」とモリスは主張します。明らかに、マルクスの「国家の死滅」のための移行期の理解です。国家権力への参加や介入、利用のための移行期ではない。国家の死滅のための移行期が位置づけられています。
さらに中央国家には、「現在機能している第三の役割、国際問題の規制が残されている。そして近代では、戦争と平和の問題が、資本主義的危機の問題とともに論議されるが、この役割も含めて資本主義の没落とともに政治的国家は破綻するだろう。そのために残されるものは何もなく、死に逝くのみだろう」。ただ、現実的な提案もしています。「戦争を回避する目的で、調停のための国際委員会をつくる提案がある。これは容易に国際的な「政府」に発展するかもしれない。戦争のための調停の代替機関は、それ自身が社会主義をもたらすものでないが、しかし明らかに回避することで、……社会主義を前進させるだろう」と。
モリスは最後に、いわゆる革命の方式について述べます。「我々の心はただ一つ、社会主義体制の開始に進むために、大衆の意見や意欲の漸進的な動きに合わせることである。武装闘争、もしくは市民戦争には、争いは起こりがちかも知れないし、他の局面、また革命の最終局面でもそうだろう。しかし、どんな場合でも、人びとの感情の変革に代わり得ないし、それに先行するより、それについて行くに違いない」。もりすは、武装闘争や権力的な上からの革命を強く否定します。逆に、下からの大衆の永続的な意識変革に期待します。従って、「一日で完全な共産主義の体制は樹立しないし、それは滑稽なことだろう」として、「我々の目前の闘争は、生産手段の共有であり、近代の資本主義と比べて、相対的な平等が達成されるような社会の実現だろうし、それ以外にはないが、それは言葉の本当の意味での社会主義の始まりだ。しかし、そこに止まることはできない」。社会主義の将来社会を、二〇世紀どころか二一世紀、さらに二二世紀への長期展望としたモリスらしい提起でしょう。(pp169~172)

そしてまた、宮沢賢治と社会主義運動との関係も知った。
川端康雄『ウィリアム・モリスの残したもの』によると、賢治の羅須地人協会の活動は、「恩田が示唆するように、ラスキンが「関与」した「労働者学校」、すなわちキリスト教社会主義者F・D・モリスが1854年にロンドンに設立した「ワーキング・メンズ・コレッジ」にヒントを得た可能性は十分あるし、また賢治の理想主義的な計画は、渡辺俊雄が指摘するように、「特にその教育的かつ農業的見地においてラスキンのセント・ジョージ・ギルドに非常に近かった」といえる。この説に一定の信憑性があるのは、羅須地人協会の理念と実践に、ラスキンとウィリアム・モリスの影響が強く認められるからである」(p206)。また、賢治の「農民芸術概論綱要」にも影響が認められる、とある。
大内氏の言う「土着社会主義」は戦後の日本社会党の党内派閥の抗争のなかで行方知れずになったかのようだが、モリスの共同体社会主義の文脈から見てみると、モリスの直接の影響はないのだろうが、いくつかの組織の底流に「土着社会主義」が探れるように思っている。

2021年08月10日