辰年如月雑記 残日録240206
先月は「和歌山県立図書館の制限図書」をきっかけにして、部落問題関連の本を読んだ。ずいぶん久しぶりのことだ。「反差別国際連帯」の動きの初期あたりまで遡るだろうか。この20年近くはこの問題には冷めていたのだ。
それが、映画「私のはなし 部落のはなし」を観て、上映会をしようと思ったのだから、映画の影響は大きい。
冷めていた間は、図書館という職場で働き、日本図書館協会の役員をしたり、大学で教えたりしていたが、無為に過ごしていたわけではない。浅学非才とは言え、私なりの日々を積み重ねてきた。
浅学非才はこの湖北地域でよく聞く、そう言っておけば良いという「挨拶語」のようなものだったが、私の場合は、若くして「浅学非才」の我が身を自覚していたので、この言葉は身についた言葉である。
私の中学生時代は吹奏楽部や文芸部という文化系の部活が楽しくて、昼休みは教師と碁を打っていて、勉強をしているという気分はかけらもなかったのだった。受験間近にあっても楽しい中学生生活で、同級生のT嬢から受験先を聞かれ「公立専願」と返事したら、「併願でなくて大丈夫なの」と心配されたことがあった。とうてい「校名」は口にできなかった。入学したとたん、母親同士も同級生のO君の母が、我が子が入れないのに入れるわけがないのに、と怪しんだぐらいだった。それだけ勉強とは縁がなさそうな、ただの本好きの子どもだったのだろう。
東播地域の進学校の加古川東高校にギリギリで滑り込んだ私は、入学してすぐに「ガリ勉」ではなく「頭のいい人」がいることを知る。「暗記を苦労なくできる」「論理的思考ができる」同級生がいた。私が苦手とするこれらのことが、苦なくできているようにしか見えない。進学校に入ってよかったことは、「頭がいい人」がいることを知ったことに尽きる。
高校時代は合唱をやっていて、一時期は「声楽科」進学へのオススメもあったが、学力は低空飛行であり続けた。3年の夏休みから受験勉強を始め、関西大学社会学部という私にとって相性のいい大学・学部に入学した。翌年の受験生の保護者への説明会では、「夏休みからでも関関同立に入れる例があるから遅くない」と説明があったらしく、近所のおばさんが「息子さんのことが話に出ていた」と母に教えてくれたぐらいで「ガンバル」ことはなかった。そういえば「しかたがないのでやる」ことが多いのだった。
学生時代に板倉聖宣という研究者を知り、3回生の夏の仮説実験授業研究会小樽大会に参加し、実際に板倉先生に会うことになる。学生時代に大学で教員としての研究者に出会うことはあったが、親しく接するということはなく、また、学ぶところも限定的であった。板倉先生には、お出会いする以前から、ご逝去後の今日までも、仮説実験論的認識論はじめ多くを学ばせていただいている。
板倉先生と上手く出会えたことで「浅学非才」の私は、「ガリ勉」のような無理することなく、マイペースで実社会に歩み出ることができた。
仮説実験授業研究会に参加することで「名南製作所」を知り、社是の「F=ma 」を知る。
社是の「F=ma 」は「人間の場合は努力というアクセルをふかし続けないと成長しえない」という意味になる。そのアクセルは「内発的」でなければならない。そして「無理」は続かない。ということから、誰かの期待に応えることなく、マイペースを続けてきたのだった。
「F=ma 」はニュートンの第2法則で「力=質量✕加速度」です。
成果物は動く速度に比例します。
努力(加速度)すれば、成功する(成果を得る)←どこで何を「努力」するか、的はずれだとダメで、ともかくバッターボックスに立っていること不可欠です。内発的な「努力」は加速度を増します。無理や他人の後押しでは長続きしない。
「a=F/m」→加速度は、成果の大きさに比例します。力を加えれば(成果が増えれば)、加速度も上がります。自分の内部から力を加え続けなければ、すぐにくたばる。
「無理な努力」は続きません。マイペースで始まった「少しの努力」が少しの成果を得ることで、「もう少し努力」することが苦ではなくなり、もう少したくさんの成果を得ることになります。
この「努力」は加速度を得ます。この加速度はあくまでも「身についた」加速度で、他人にヨイショされた加速度でも、叱咤激励された加速度でもない、内発的加速度です。体力的に無理が生じてくたびれることで小休止することはありますが、ちょっとやそっとでは止まりません。(ちょっと繰り返しになりました)
社是「F=ma 」については鎌田勝『不思議な会社』(初版 日本経営出版会1975.7)に詳しい。
人生100年時代だとか、70歳代はまだ働ける、などという活字を目にすることが多くなった。体調が復調にまで至らなくとも、もう少し回復すれば、少しは何かを重ねたい。
3月下旬から4月にかけて、陶芸家の石川雅一(はじめ)さんの個展が東京であるので、体調がゆるせば歌舞伎見物も兼ねて東京見物を計画したいと思っている。年金ぐらしとなり、趣味・道楽で「F=ma
」を発揮する訳にはいかないが、「東京ぶらりどうやろ」という気分。
1月は能登の震災から始まったようTVだったが、元旦は薄っぺらな情報しか流れないので、録画しておいた山田太一のNHKドラマ「今朝の秋」を見た。武満徹の音楽、小津調の物干しの場面。笠智衆、杉村春子、杉浦直樹、倍賞美津子、樹木希林他の出演者。杉村春子と樹木希林の飲み屋の階段あたりの演技のやり取り、文学座の組み合わせ、が以前から気にいっている。
武満のドラマの音楽というと夢千代日記を思い出すが、山口瞳原作「血族」の音楽も武満だった。ドラマの放映が始まるTVの前で音楽が流れるのを、作者の山口は落涙して聴いたという。「血族」も見たいと思った。
年末にH姉様から久しぶりに電話があり、随分前に「ロシアとウクライナ」の戦争は「アメリカの軍需産業」が関連しているといっていたけど、どうなるの、と聞かれた。そろそろ戦争する必要はなさそう「だけど」と返事した。「だけど」が厄介だとつなげた。詳しく解説できるほどの知識はないので、朝日のPR誌「一冊の本」の佐藤優の連載でも読めばよかろうに、と言いたいが、読んでみてわかるということを期待できないので、(歴史も地理も苦手ときている)あれこれに広がらない。「イスラエルとパレスチナ」はと話題を変えてきたので、「難民」が増える、と答えた。「難民」が増えるとどうなるの、と聞くから、「働くことなく援助で飯を食う」人が増えてしまう、と言っておいた。電話の向こうで驚いていた。予想外だったようだ。